『家族』はこわい(5/6)
しかし、こうした「置き換え」に疑問を持たない、この裁判長のような人々にはそんな疑問は浮かびません。
問題行動(症状)は、子どものノンバーバルなメッセージなのだととらえ、向き合おうなどという考えは思いもよらないことなのです。
この裁判長のような人々にとって、子どもは「未熟で保護の対象となる者」でしかないのです。そこには問題行動の裏にある意味を考え、「子どもの思いや願いをきちんと受け止めよう」、「子どもが今、何を感じているのかきちんと聴こう」などという発想は皆無です。
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間違っているのはいつも子ども
未熟な子どもに対して、成熟したおとな(親)がすることに「悪いこと」などあるはずがないのです。
おとながすることはいつでも正しいのですから、問題が起きるとしたら間違っているのは子どもの方に決まっています。
もし、おとなのすることがどこかへんだと感じたとしても、未熟な子どもに反論することなど許されません。ときには疑問を持つことさえ、罪とされます。
私たちの社会では、「子どもは力で押さえつけ、疑問を持たずに社会にうまく適応できるよう『しつけ』てやることこそが『愛情』なのですから。(続く…)