昇華された“怒り”(3/6)

2019年5月29日

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S.A.K.U. PROJECTとは?

S.A.K.U. PROJECTとは、「石山朔と彼の作品が世界中で愛される芸術的遺産として認められるようになること」だけを目標にしたプロジェクトです。

展覧会を企画・主催したり、ホームページを運営したりするなど、朔さんに関するプロデュースやPR活動を一手に引き受けています。2007年に横浜バンカート(神奈川県)で個展が開かれ、その様子がNHKで紹介されてからはインターネットを通して問い合わせが殺到し、嬉しい悲鳴を上げています。

そう聞くと、とてつもない大プロジェクトかと思いがちですが、メンバーは朔さんの孫でS.A.K.U. PROJECT代表のエリスさんとその奥様を中心とした家族6人。庭で遊んでいたひ孫さんが最年少メンバーです。

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プロジェクトの発足は2000年頃。当時、イギリスに住んでいたエリス夫妻は「とにかく祖父の絵を多くの人に見て欲しい」と、写真撮影を始めます。実物の色に近づけようとカメラのことなど何も知らないというのに一眼レフカメラまで購入し、ポストカードをつくりました。そして、買い集めた美術書からリストアップしてあった世界中のギャラリーに送ったのです。

「約250カ所に送って返事が来たのは7カ所。それも断りの内容ばかりでした。今思えば、送られた相手は『なんだ、これ?』と思っただけだったでしょうね。アート界の常識を知らなかったからこそ出来たことでした」と、夫妻は笑います。

2002年、夫妻は「実物が日本にあるのだから、やはり日本でPRしなければ」と、イギリスでの仕事を辞めて帰国。本格的にS.A.K.U. PROJECT取り組み始めました。
でも、その動きは相変わらず地味。会社勤めのかたわら、東京中のギャラリーを尋ね歩いたり、ホームページを開いたり、興味を持ってくれたアート関係者と会ったりという日々でした。

S.A.K.U. PROJECT初の大仕事は2004年に高崎シティギャラリー(群馬県)で開いた個展。チラシもポスターも、もちろん手作り。開催期間中はギャラリー前で「ちょっと見て行ってください」と、呼び込みまでしたそうです。

とにかくエリスさんの思い入れは半端ではありません。17歳のときには「いつか祖父の作品を世の中に広める」と心に誓っていたほどです。
イギリスで知り合った今の奥様をはじめて自宅に誘ったときのセリフも「家に絵を見に来ないか?」でした。

「祖父の絵を見ていると、本当にその世界に吸い込まれそうになる。何時間見ていても飽きません。自由奔放で独特の色彩を持ち、かつ緊張感とスリルにあふれた作品は祖父の人生そのもの。祖父と祖父の作品は私にとって太陽のような存在です。祖父は自身の生き方と作品を通して『自由に生きろ。だが、権力や凡庸にはけして屈するな』と、私に教えてくれました」(エリスさん)

幼いエリスさんの面倒を両親以上に見てくれたのは朔さんとその奥様。エリスさんにとって、朔さんの絵に囲まれたアトリエは聖域であり、寂しさを慰めてくれる空想世界でした。

エリスさんがこの世に生を受けたのも、朔さんがふたりの娘をイギリスへ行かせたから。借金が一段落すると(詳しくは後述)、朔さんは「狭い日本にいてはダメ」と、娘たちを海外へ送ったのです。
それから3年後、イギリス人のパートナーと一緒に帰国した長女のお腹に宿っていたのがエリスさんでした。

そのとき、長女は自分の妊娠に気づかないほどガリガリに痩せていました。「これで無事な子どもが産まれるのか?」と不安がる家族に、朔さんは「どんな子が生まれても、育ててやる」と言ったとか。(続く…

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Posted by 木附千晶