啐啄ーー1年の結びに代えてーー(3/3)
なんだか、人間と同じではありませんか?
おとなや社会の都合に合わせて、“よい子”をつくる子育ては、一見、手っ取り早く、合理的で、理想の子どもができあがりそうな感じがします。
私たちおとなは、「いまの社会の規格に合わない部分は削り落とし、そぎ落としてしまえば、ちゃんと社会に適応したおとなになれるはず」・・・そんなふうに思いがちです。
でも、目の前に広がる子どもたちの現実を見ていると、どうも、そううまくはいかなさそうです。
今年も、いじめやスクールカースト、ネット依存などさまざまな子どもたちの問題をこのブログでは、書いてきました。
つい最近も、隙間やあそびの部分が無く、規格に合わせることだけをさせられた結果、社会に出て行こうことができないニートと呼ばれる若者が23年には60万人に達したという厚生労働省の発表もありました(若者雇用関連データ)。
なかなかできない時代だからこそ
特定秘密保護法も可決され、日本はどんどん窮屈な、あそびのない、子育てに向かない社会になっていきそうです。
そんな中で、せめて、身近にいる子どもとの関係は、まずは子どもができる方法で発する声を聞き、それに応える「啐啄」のようでありたいと思います。
心に誓っていなければ、なかなかできそうにない時代だからこそ、あえて1年の締めくくりに、その言葉をもう一度、思い出しておきたいと思いました。
みなさん、どうぞよい新年をお迎えください。
どうか来年は、お互いに自由に思いを出し合い、それを受け止められるような関係が、もっと楽にできる世の中になればと願っています。