戸田市中学校侵入傷害事件に思う(2)
刃物を持って人を切りつける“事件”のようなかたちもあり得るし、自殺という方法もあり得ます。そこまで行かなくとも、いじめや過度のゲーム依存などによって顕在化することもあります。
こうした行動を止めるためには、表面的に見えるその言動に注目するのではなく、その子どもの心の中に深く醸成された自己破壊衝動をどうにかするしかありません。
3月1日の事件後、防犯ジャーナリストなる人が、事件を防ぐ方法として、容易に外部の人間が入れないようセキュリティを強化するとか、監視カメラを駆使するなどの話をしていましたが、まったくの筋違いです。
壁を高く、鍵を頑丈にしても、またそれを破って事件を起こす人間が増えるだけでしょう。ただのいたちごっこにすぎません。
対症療法ではなく
そんな対症療法ではなく、今の日本の子どもたちの根底にある、「自分は生まれてくる価値の無い人間だった」という思いをどうにかしなければなりません。
事件を起こした少年は「だれでもよかった」と言いながら、なぜ学校を、それもテスト中の学校を狙ったのか。自殺をする10代はなぜ高校生の男子に多いのか。
個別のケースについて明言はできませんが、そこには国連からも4度にわたって見直すよう勧告されている日本の競争主義的な教育と、4回目の勧告が指摘した競争社会の問題があるように思えてなりません。
自己破壊衝動を育てるもの
それは子どもの心に中に「自分は愛されていない」「自分は必要とされていない存在なのだ」という自己破壊衝動の芽を生み、競争主義的な教育制度という養分を糧に育っていきます。
残念な事件
3月1日の事件を起こした少年が殺人未遂で逮捕される前に、そんな少年の悲しみや切なさを気づくおとなはいなかったのでしょうか。
せめて猫を殺しているときに、そうせざるを得ない少年の辛さをだれかが気づいてあげられなかったのか。
本当に残念でなりません。