やりきれない事件ーー安倍晋三元首相銃撃事件に思う(2)
『国葬の成立 明治国家と「功臣」の死』(勉誠出版)の著者である中央大学文学部の宮間純一教授は
「不当な暴力で亡くなったからといって、安倍元首相を国葬にすることがどうして民主主義を守ることになるのか。私の理解では、国葬はむしろ民主主義とは相いれない制度である」
(『PRESIDENT Online』2022年7月19日)
と、岸田首相の発言を疑問視しています。
同記事の中で宮間教授は、「不平士族の手にかかって落命したことで、反政府活動が活発化することを恐れた伊藤博文らが、政府に逆らう者は天皇の意思に逆らう者であることを明確にし、政権を強化しようとした」と1878年に国葬に準ずる規模で催された大久保利通の葬儀を紹介し、今回の「国葬」も同様の意味があるのではないかと指摘します。
なんとも恐ろしいことです。
「国葬」で「良かった」5割
しかし第1次・第2次安倍政権の3188日という憲政史上最長の通算在任日数で、保守の牙城をつくりあげ、徹底的な競争と自己責任の社会を浸透させた安倍元首相のおかげで、こうした動きを危惧する声はほとんど聞かれません。
『FNNプライムオンライン』(22年7月25日)では、国葬を行うことについて「よかった」と答えた人は、「どちらかと言えば」をあわせて50.1%。世代別に見ると、若い世代は「よかった」が多く、年齢が上がるにつれ、「よくなかった」が多くなりました
若者の保守化が進んでいることは分かっていましたが、この数字にはやはり、驚きというか、残念さを隠しきれませんでした。
孤独で哀れな青年が起こした事件
今回の安倍元首相殺害のどこが、「言論への弾圧」であり、「民主主義への挑戦」なのでしょうか。
私には、「統一教会という宗教のために家族と人生を狂わされた」と信じた孤独で哀れな個人の逆恨みと呼んだ方がいいように感じます。
逮捕された容疑者の取り調べはまだまだこれから。まだ分かっていない真実や、表沙汰にされていない事実もたくさんあることでしょう。
残酷な結果
でもやはり私には、彼は、母親の愛を求めたひとりの寂しい青年に過ぎなかった気がしてなりません。
そんな印象を強く持ったのは、事件後の母親の「旧統一教会に迷惑をかけて申し訳ない」(『NHK NEWS WEB』2022年7月22日)というコメントでした。
息子が命をかけて質そうとした母親の愛、「自分の思いを分かって欲しい」という究極のメッセージさえも否定し、統一教会への謝罪を母親は述べたのです。これほど残酷な結果があるでしょうか。
そんな青年を利用し、保守勢力は憲法改正に大手をかけようとしています。
青年の命と人生をかけた結果がこれだったとしたら・・・どうにもやりきれない思いです。