「森発言」は個人のジェンダー差別の問題なのか(3)
今も日本にはだれもが「その人らしいオリジナルの人生」を生きることを阻む仕組みや考え方がはびこっています。差別されているのは、決して女性だけではありません。
「年を取っているから」
「障害を持っているから」
「子どもだから」
そんな理由で、私たちの社会は相変わらず差別を繰り返しています。「力が無いのなら文句を言うな」「自分で稼げないやつは黙って従え」という、強者の論理を振りかざしています。
「森発言」は、こうした日本社会が隠そうとする差別思想の、氷山の一角に過ぎません。
個人の問題に矮小化してはいけない
今回の「森発言」を、森氏の特殊な人格の問題だとして批判したり、女性蔑視発言に矮小化して糾弾することは、こうした日本社会全体の問題を覆い隠すことにつながります。
「老害」として森氏だけを切り捨てることは、逆に日本社会全体が持っている「弱者は差別されて当然」という、経済効率一辺倒の価値観を温存させてしまうことになります。
責任は私たちひとり一人にある
批判されるべきは森氏だけで無く、換えるべき価値観は女性に対しての差別だけではないのです。
森氏のような人物を政界のドンに祭り上げ、経済界と結びついたオリンピックやスポーツ界でも影響力を持つ人として君臨させてきたのは、私たちがつくってきたこの社会です。
その責任は私たちひとりひとりにもあります。
だれもが認め合える社会を
そんな自分たちの至らなさ、過ちを猛省し、「あらゆる人が『ひとりの人間』として認め合える社会」をつくっていくべきです。
そのためにはまず、子どもやお年寄りなどの社会的弱者と呼ばれる人々、経済利益を生みにくい人々が、自分の思いや願いを遠慮すること無く表現し、それに沿った人生を選べるよう、社会の仕組みや価値観を変えていくことが必要です。
間違っても、「女性アスリートを会長に就任させる」だけで終わってはならないのです。