教育基本法「改正」で子どもが育つか?(4/4)
「改正」されれば子ども問題は深刻化する
そんな教育現場にはびこるのは、自己決定と自己責任に基づく競争原理と上意下達の命令や道徳規範、規律です。子どもたちを“調教”しようというのです。まるで競走馬のようです。
生まれつきハンディを負っていたり、“調教”の過程で反抗したり、故障したりすれば、容赦なくはじかれてしまいます。
子どもが成長発達するために必要な人間関係など保障する余裕はありません。
それでなくとも国は「構造改革」や「自由競争」という名で、保護者や教職員の労働条件を悪化し、教育や福祉分野の予算を削減させ、企業優遇の措置を取り続けることで、子どもがすくすくと育つための人間関係を破壊し続けてきました。
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お金と地位、そして成果争いに駆り立てられているおとなには、とても子どもと受容的な人間関係を築くための経済的・時間的余裕が無くなってしまいました。
万が一、そうした余裕があっても、そのおとな自身がそのままで認めてもらえた経験、つまり愛された記憶がないために、自分がされたのと同じような方法で「これがお前のためだ」と言って、子どものお尻を叩いてきました。
「改正」されれば、こうした状況はますます深刻になります。今よりもずっと、教職員は管理職の顔色をうかがうようになります。親の所得や意識によって子どもが受けられる教育に差が出来ます。幼少期にどんな教育を受けたのかということが、将来、いえ、次の世代にまで影響を及ぼすようになるため、教育熱心な親は戦々恐々となって子どもを追い立てるようになります。
エリート優遇の格差社会では、一度ついてしまった格差が一生をかけても取り返しがつかないほど大きくなってしまうからです。
安易な「改正」ではなく真摯な議論を
子どもとおとなとの間の受容的な人間関係など皆無になり、子どもの欲求はつぶされ、居場所は無くなり、ストレスは増し、子どもたちの抱える問題は必ず増大します。
政府与党が言うように、競争によってモラルが回復し、教職員の質が向上し、子どもたちの学力が向上し、国が豊かになるなどということは絶対にありません。それは、子どもの権利条約の理念を生かした、子ども一人ひとりを大切にした教育を行っているフィンランドやデンマークなどのスカンジナビア諸国が、文化的民度や学力の国際比較、そして国際競争力においても常に世界のトップを占めていることからも明らかです。
教育基本法の「改正」は、日本の将来のあり方を決定する国の「百年の計」のはずです。けして一部の政治家の感情論や経済界の目先の利益に左右されるべきではありません。
それにも関わらず、冒頭で述べたように「改正」案にも、「改正」プロセスにも、科学的・歴史的な事実に基づいた論議がまったく欠如しています。
確かに、今までの教育施策や教育制度は、教育基本法の理念通りに行われてこなかったという反省点はあります。
しかし、だからと言ってこのまま安易な「改正」に踏み切れば、日本国民は大きな負の財産を背負い込むことになります。
「改正」を急ぐのではなく、今こそ「子どもの成長発達には何が必要なのか」を真摯に問う、国民的な大議論を行なうべきです。(終わり)