「みんなちがって、みんないい」(3)
「『どのくらいの量を食べたいか』とか『トッピングに何がのってるところが欲しい?』など、一人ひとりの子どもに聞いていくのです。たとえば『どうしてもいちごが食べたい』という子には、『じゃあ、その分、スポンジは他の子が多くてもいいかな』と尋ねたり、『デコレーションされている人形のチョコレートが食べたい』と言った子には、『今回はあげるから、次回はお友達に譲ってね』などと言いながら、『一人ひとりの子どもが望むように、なるべくみんなが納得するようにケーキをカットして配ることこそが平等である』と、その保育園では教えていました」(園長先生)
私は「なるほど!」と、ひざを打つ思いでした。
好みはさまざま
確かにチーズケーキは好きなのにスポンジケーキは苦手な子もいるはずです。多くの子どもが大好きなチョコレートだって、嫌いな子がいても不思議ではありませんし、果物のいちごは大好きだけど、ソースになるとあまり好きではないということだってあるでしょう。
もしかしたらケーキそのものが苦手な子どもだって、いるかもしれません。
それなのに「子どもはケーキが好きなもの」と思い込んで、どの子にも等分にいき渡るようにして配ることが平等のはずはありません。
1回目に書いたように、「さまざまな違いを持つ人間がお互いにその違いや価値を認め合い、だれもが世界にふたつとないがかけがえのなさを持っていることを尊重すること」が平等なのですから。
個人的な話題ですが
まったく個人的な話になりますが、実は私はクリームやバターが苦手です。ですので、あまりケーキというものを好んでは食べません。それは子どもの頃から同じでした。
それなのに、どこかにお邪魔すると満面の笑みでケーキを勧められ、無碍に断ることもできず、困るという経験が何度もありました。
「どうして一言、『ケーキが好きだったら、今あるんだけど、食べたい?』と聞いてくれないのだろう」
子ども心にいつもそんなふうに思っていました。「尋ねてさえくれれば、断ることだってできるのに」と。
「目から鱗!」
そんなふうに思って育ってきた私にとって、この北欧の保育園での話はまさに「目から鱗!」。平等とはどういうものなのか、なんとなく「もやっ」としていたものがすっきりと晴れたようでした。