みんなちがって、みんないい(4)

2019年5月29日

 昨年末、このブログで国際的な「子どもの成長・発達のための約束ごと」である子どもの権利条約にもとづいた日本政府報告審査に向け、「自分たちの現状を訴えよう」と8人の子どもが国連「子どもの権利委員会」に『子ども報告書』を提出したということを書きました。

 そのときに引用した「多様性を認めない学校には行きたくない」とのタイトルの『子ども報告書』を書いた男の子は、「扱いづらかったり、自分の意見を持って発言したり、授業がつまらないから勉強に身が入らないでいたりすると、すぐに『発達障害』にされる」と、昨今の学校現場の風潮を述べていましたが、異質なものを排除しようという傾向は今にはじまったものではありません。

 日本の学校教育では、昔からずーっと差別というものが、歴然と存在し続けてきました。

アジア人だというだけで

世界はひとつ 昨年、『子ども報告書』を書いた子どものなかに、ミャンマーの少数民族であるカチン族出身の両親を持つ二世の女の子がいます。
 日本で生まれた彼女は、ずっと日本社会で育ってきましたが、「アジア人である」というだけで白人であれば受けることはなかったであろう、さまざまな偏見や差別を受けてきたとそうです。

 こうした環境の中で育った二世のなかには、自分にルーツのある国を大事にできなかったり、自分が外国人であることを恥じる子どもが大勢いて、いじめを恐れて日本名に変えてしまう子どもも少なく無いそうで、彼女自身も、小学校の時、転校を気に日本名を使ったことがあったと言います。

「自分は周りの日本人の子どもと『同じ』ような名前に変えてしまえば目立たず周りと『同じ』になれ、からかわれずにすむだろうと考え」(「日本で外国人として生きたい」/『子ども報告書』、国連で意見表明をする会)て・・・。

 その後、彼女は両親が愛を持ってつけてくれた名前を変えてしまうのはよくないと気づき、今はもともとの名前を使っています。

 そんな彼女は、今年2月、国連で次のような意見表明をしました。

「『自分は自分でいい』、『他と違ってもいい』という当たり前のことを日本の学校教育の中で私は一度も聞いたことがありません。日本社会では『他を認め受け入れる』こと、すなわち一人ひとりの個性の大切さを知っているおとなや子どもは、本当に少ないと思います」

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Posted by 木附千晶