雪の日に思う(6)
そんなふうに親も子も・・・とくに子どもは生まれたときから「みんなと同じ」に過ごすようにとされて行くわけですから、知らず知らずのうちに同調バイアスに縛られてしまうこともうなずけます。
小学校に入る頃には、自分の感情よりも周囲のおとなの気持ちや期待を優先し、友達の様子をうかがっては自分だけ浮いてしまわないよう務め、社会が是認する価値に合わせて頑張る子どもや、そんなふうにできないことを卑下したり、「自分はダメだ」と思ってしまう子どもができあがります。
「みんなと同じ」に振る舞えなかったり、「みんなと同じ」ことに違和感を持つ子どもは、学校を中心とした同調サークルからはじき出されてしまうこともあるので、子どもにとっては「みんなと同じ」であることは、とっても大切なのです。
検証とは裏腹の提言
こうして「みんなと同じ」になることをずっと子どもに強要しておきながら、前回紹介した宮城県石巻市立大川小学校の問題を検証した第三者委員会・大川小学校事故検証委員会は、その最終報告で「子どもが自分で判断・行動できる能力を育てよ」(提言11・13)と記しました。
ところがそう書いた検証委員会自体が、山に逃げた子どもが連れ戻されたという矛盾は切り捨ててしまっていて、検証委員会自体もきちんと考え、判断した検証ができていません。
さらに言えば、東日本大震災後に改正された宮城県地域防災計画等にも、大川小で何が起きたのかについてはまったく触れていません。
まずおとなが自分で判断・行動を
311から7年がたちました。3月がこんなにも寒く、まだまだ雪が降る時期だったのだということを311以降、私は毎年実感しています。
被災地を訪れた際、低体温症になって亡くなった方の話、津波で流された人を救助しカーテンでくるんで暖めた話、燃えそうな物を拾って暖をとった話などをたくさんたくさん、うかがったからです。
昨日も東京に雪が降りました。私は「あの日のこと」を思い出さずにはいられませんでした。
「『みんなと同じ』ように行動したからこそ、救えるはずの命を救えなかった」ーーその事実を直視し、まずはおとなが「自分の頭で考え、判断・行動する」ことからはじめなければならないと、強く感じます。
「自分の頭で考え、判断・行動する」ことを放棄し、体制にすり寄り、権力におもねり、力を持った者に忖度する。そんな社会は、非常事態に対応できないどころか、だれも救うことなどできないのです。