雪の日に思う(5)
学校のなかだけでなく、考え方や遊び方、興味の対象や放課後の過ごし方まで、子どもたちはさまざまな同調バイアスに縛られています。
「友達の間で人気のゲームやマンガ、テレビ番組を見ていないと仲間に入れない」、「ノリが良くて笑いを取れるようなでないとみんなとうまくやれない」、「じっくり本を読んだりゆっくりものを考えたりするような人間は浮いてしまう」・・・そんな話を中高生のクライアントさんからよく聞きます。
ほんとに多様化?
「ライフスタイルが多様化した」などと言われますが、私が知っている限り、少なくとも東京近郊に暮らす子どもたちの風景は、とても画一的です。そして、そのためにとっても忙しそうです。
とにかくたくさんの子どもが、幼稚園や小学校低学年の頃から「みんなと同じ」ように塾や習い事に通い、私が子どもの頃よりもはるかに多くの時間を勉強に費やしています。
何しろ今や、子どもが塾に行くのは当たり前。都心のある地域では、中学受験も当たり前です。保育園自体が運営している英会話教室や体操教室に行っている子どもも、いたりします。
教育熱心な親が多いとされる地域に住む知人は、「近所にある公立の中学校に通っている子どもは『受験に失敗した子』という目で見られたりする。だからみんな受験に必死になる」と、その胸の内を語ってくれました。
前にも書きましたが、小中学生のお子さんがいるクライアントさんの場合、ご相談の前後に塾へとお弁当を届けたり、土日は終日子どもの勉強をみて過ごすなどということをよく聞きます。
「子どもがいる親なら、働きながら『みんな同じ』ようにやっている」というわけです。
遊ぶのもたいへん
そうして頑張って入った私立学校は、小学校から「みんなと同じ」制服を着て、バラバラの地域から通ってきます。放課後、自転車で集合して遊びに行くなんていうこともできません。
休日に一緒に遊ぶにしても、模擬試験だの講習会だのがあってスケジュールを合わせるだけで一苦労。待ち合わせするにも「千葉の子が埼玉の友達に会いに行く」とか「真ん中にある都心で」ということになって、時間も交通費もかかります。
「せっかくの休みだから」と、気晴らしにお金のかかるテーマパークに行ってしまうという気持ちも分からなくもありません。「みんなと同じ」遊びは、とってもお金がかかるのです。