『生き心地の良い町』(5/9)
韓国旅行のとき、友人のお腹はほんとうにぱんぱんで、「すぐにも子どもが飛び出してきそう」な大きさでした。飛行機会社によっては臨月が近すぎて乗せてもらえないところもあったほどです。
そんな友人とタクシーに乗れば運転手さんが「何ヶ月なの?」と尋ねて来るし、市場や商店街を歩いていると、必ず地元の人たち(多くの場合、おばさんたち)が「何ヶ月なの?」「大事にしないと」「男の子? 女の子?」と呼び止めてきて、「これを食べるといいよ」と商品である食べ物を差し出されたりしもしました。
そして話は発展し、たとえば「(友人の)夫はどんな人なのか」とか、隣にいる私には「あんたは結婚しているのか」とか、かなりプライベートなことまで聞いてくるのです。
日本で同じこと口にしたら「セクハラだ!」と怒られそうですが、韓国の下町?のおじさん、おばさんたちがあっけらかんと聞いてくると、こちらも嫌な気持ちがまったくせず、逆に距離が縮まった感じがしました。
海部町民に通じる匂い
前回のブログで紹介した「海部町では隣人がうつっぽくなっていると『あんた、うつになっとんと違うん』と面と向かって指摘することもめずらしくない」という話を読んだとき、どことなくあの韓国旅行で出会ったおじさん、おばさんたちに通じる匂いを感じました。
同じ言葉を口にしても、そこに他の気持ちや評価・・・たとえば「うつになるのは良くないこと」だとか、「子どもを産んでいないのはいけないこと」だとか・・・が入っていると、受け取った側は敏感にその“含み”をキャッチし、不愉快になります。
値踏みされているような、批判されているような、ダメだしされているような、そんなネガティブな感じになります。
でも、そういった“含み”がないストレートな言葉は、「あなたにとっても関心がありますよ」というメッセージになり、受け手側に「『自分を気にかけてくれているこの人の前でなら、自分を出してもいいかもしれない』という安心感をもたらすことがあるのだ」と、あの韓国旅行で知りました。
確信させてくれた話
それを確信させてくれたのは、韓国旅行中、通訳をしてくれた方のお子さんの話でした。
その通訳の方は日本人で、お子さんは幼少期を日本で過ごし、日本の学校では不登校だったのに、韓国では問題無く学校に通えているといい、その理由をお子さんはこんなふうに語ったのです。(続く…)