矛盾社会(6/6)
子どもの権利条約に基づいて批准国の子ども状況を審査する国連「子どもの権利委員会」は、「ADHDについても薬物治療されるべきものとみなされており、社会的決定要因に対して考慮が払われていない」との懸念を示しました(2010年6月)。
つまり、国連からも日本のADHDを含む発達障害のとらえ方、治療法は疑問視されているということです。
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障害児関連への予算・資源の拡充はほぼゼロ
障害児について、ちょっと補足させてもらうなら、国のやり方はまさに「矛盾社会」の象徴です。
何しろ、すぐに発達障害という診断がつきやすい環境をつくり、いわゆる“障害児”と呼ばれる子どもを増加させておきながら、障害児関連の予算や資源の拡充はゼロに近いのです。
かねてから「人手不足」「予算不足」とされてきた障害児の支援の現場では、特別支援学校の大規模化や設備・教員の不足などがますます深刻化しています。障害のある子どもが通う学校や寄宿舎の廃止や統廃合も後を絶ちません。
パーソナリティにも大打撃
このような矛盾した社会、矛盾した価値観を受け入れなければならない環境は、子どものパーソナリティの形成にも大きな打撃を与えます。
たとえば今の学校では、表面上は「みんな仲良く」と教えられるのに、実際には競争を是とする社会に適応することを迫られます。
いくら「助け合いが大事」と教えられても、実際の社会では、敗者への助けの手は極めて貧弱です。
こうしたバラバラな価値観を内面化することを強要されるのですから、パーソナリティの奥深くに隠れた自我も、健全になど育ちようがありません。
その状態を一橋大学名誉教授で社会心理学者の南 博氏はこうつづっています。
「パーソナリティを形成するいろいろな場によって社会価値が違い、その内面化が不連続的に行われると、ひとりの人間が、互いに矛盾し衝突する習慣や習性を身につけるようになり、統一のないパーソナリティができ上る。現代人の心理的な不安定にはこのようなパーソナリティの不統一が、その土台によこたわっている」(『社会心理学入門』岩波新書 44ページ)
悲鳴を上げる自我
本来、「本音と建て前を使い分け、そのときそのときでその場に合ったように振る舞う」なんていうことは、自我が確立したとされるおとなでも難しいこと。子どもならばなおのこと、です。
そんな無理を迫る社会では、自我は、分裂したり崩壊したりしないよう、さまざまな防衛を試みます。それは一見、「無気力や無関心」のような姿に見えることもありますし、依存症や自傷行為のような形態を取ることもあります。
「矛盾社会」を放置して、スキルトレーニングやロールプレイをいくらやっても無駄なこと。矛盾に絶えきれなくなった自我は、いつか悲鳴を上げます。
「矛盾社会」をわずかでも変えていけるように
心理臨床の現場は、そんな生の悲鳴を身近で聞かせてもらうことのできる貴重な場です。
そこでの経験、実感を元に、今後も「矛盾社会」をわずかだけでも変えていけるようなお仕事を続けていきたいと思います。
今年一年、拝読くださってどうもありがとうございました。
すべての生ある存在が喜びにあふれた新年を迎えられますよう、お祈りしつつ、感謝に変えたいと思います。