矛盾社会(5/6)
たびたびこのブログでも書いてきたように、こうしたことはもちろん、個々の親のせいではありません。
「幸せとは何か」を見失ってしまった社会の当然の産物です。
発達障害という“くくり”
それから発達障害という“くくり”もくせ者です。
この発達障害という“くくり”をよく耳にするようになったのは2003年頃から。
4歳児を全裸にして立体駐車場の屋上から突き落として死亡させた事件(長崎県)で補導された男子(当時中学1年生)が、脳の機能障害とされる広汎性発達障害のひとつであるアスペルガー障害とされた頃から頻繁に聞くようになりました。
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ところが昨今は「社会が容認したがらない言動や特徴を持つ子どもをレッテル付けして排除するため」に使われている感が否めません。
たとえば、ちょっと他の子よりも元気だったり、おとなしく座っていられなかったり、先生の指示にしたがえなかったり、他のこと違ったところがあったりすると、すぐに「発達障害かもしれない」と養育相談やカウンセリング、精神科の受診を勧められます。
一方、多くの親は「子どもがかわいい」と思えばこそ、「自分の子を社会に受け入れて欲しい」と、率先して子どもの欲求や自発性をつぶす治療に荷担しがちです。それが、子どもの自己肯定感を低め、将来、大きな代償を払うことにつながるとは思いもせずに。
溢れる発達障害
もちろん世の中には「特別な支援」を必要とする子(人)がいるのは分かります。
だけど、こんなにも発達障害が溢れているのはいくらなんでもおかしくはないでしょうか?
お金のかかる障害児教育や手のかかる子どもへの対処に頭を痛めていた文部科学省が、2007年に「個々のニーズにあった支援を」として特別支援教育をスタートさせたとき、医学上は広汎性発達障害に含まれないADHDをも含めて発達障害と定義したことも発達障害とされる子どもを増やす一因となったはずです。
その後、特別支援学校(学級)に入る子どもは増加。不適切な養育を受けていたり、逆にのびのびと育った子どもにありがちの、じっとしていられない、自己主張が強いなどの特徴を持つ子が、すぐにADHDとされることも増えました。
発達障害と言うよりは、「その子のメッセージ」として受け取った方が分かりやすく、解決の道も探りやすい言動までが「発達上の問題行動」と片付けられやすくなったのです。
「ちょっと変わった子」まで治療対象
そして病院へ行けば、簡単に診断は付き、すぐに薬物治療の対象になります。
薬物依存については「ダメ、絶対」などというポスターをばらまいて反対している国も、「他の子と同じように振る舞えない子」への薬物投与にはまるで反対する雰囲気がありません。
私の子ども時代には「ちょっと変わった子」というくらいで、普通にクラスにいたようなタイプの子どもまで、治療の対象になっています。(続く…)