雪の日に思う(3)
津波が来ると聞きながらも、おとなしく渋滞の列に並んでいた人々。
その番組を見ながら、私は311のあと不足しがちだったガソリンや灯油を求めるため、私の家の近所にあるガソリンスタンドを目指して整然と並んでいた車の列を思い出していました。何百メートル、いや、もしかしたら1キロくらいに渡って並んでいたのです。
未曾有の震災を体験し、だれもが得たいの知れない不安感、先の見えない恐怖のようなものを抱えていたと思います。
ガソリンや灯油だけでなく、東京周辺でもトイレットペーパーや水など一部の物が品薄になっていました。計画停電が行われ、明るいテレビ番組は自粛。やたらにACジャパンのCMが流れていました。
当時、私が相談にうかがっていたある施設では、「ACジャパンのCMを聞くと泣き出す子どもがいる」という話を聞いたほど、テレビを点けるだけでどこか異様な雰囲気が感じ取れ、前に書いたように通勤・通学するだけで一苦労というような、日常から遠く離れた日々が続いていました。
そんな異常事態のなかでも、文句を言うことも無ければ、割り込もうとする人もいない風景。じーっと列に並び、たんたんと進んで行く車の、その落ち着いた様子が、逆に異様な光景のような感じがしました。
みんなと同じにふるまうのがよいこと
「みんな、そうしているんだから」
子どもの頃、何度となくおとなたちに、そう言われたことを覚えています。
「個性化」とか「多様化」という建前とは裏腹に、私たちは物心がつく前から生活のあらゆるシーンで、「まわりと違う行動を取るのは良くないことだ」「周囲に合わせておけば安心だ」と、「まず集団のことを考えろ」「自分を優先させることは控えろ」と、教え込まれてきました。
たとえ非常事態においても、そこから逸脱することは許されません。その好例が、以前にもご紹介した宮城県石巻市立大川小学校の一件でしょう。
同調バイアスを強化する教育現場
311の日、大川小学校では教員と一緒にいながら、避難することもなく74名もの子どもが津波に巻き込まれて亡くなりました。津波が来るまでの約50分間、校庭で待機させられた子どもたちは、「このままでは死んでしまう!」「先生! 山に逃げよう!」と口々に叫びました。
中には自分1人で山へと逃げた子どももいました。 しかし、そうした子どもは「団体行動を乱す」と連れ戻され、結局は命を落としました。
このエピソードは、日本の教育現場がまさに異常事態でも周囲との同調を最優先させる、いわゆる同調バイアスを強化する場となっていることを物語るものです。