地域の再生と地域猫(8/8)
閑話休題。
もう一度、ミーちゃんという“世話される弱い存在”に目を向けてみましょう。
ミーちゃんが地域にもたらしたもの。・・・それは「人間らしさの回復」です。ミーちゃんという小さき者が、私たちの感情を揺さぶり、共感能力を引き出し、結果的に、地域に人と人とのつながりをもたらしました。
「世話をしたい」と思わせる弱い存在。その存在こそが、私たちが見失いがちなものを教え、関係性をもたらし、孤独から解放してくれることを証明したのです。
世知辛いこの世の中。ともすれば「だれかと支え合って生きる」という人間らしさが忘れられてしまいがちです。
そうした今の社会においては、ミーちゃんのような存在。それはまさに地域になくてはならないものなのです。
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深まる地域住民の溝
こうした存在を力で排除しようとするとどうなるか・・・。
今、東京都荒川区などで、野良猫にご飯を上げることを禁止する条例が制定されようとしています(こちら)。
荒川区と言えば、人情あふれる下町のイメージですが、条例制定の話が持ち上がって以来、猫好きと猫キライの地域住民の溝がどんどん深まっているそうです(こちら)。
「自立した存在」が理想というフィクション
繰り返しになりますが、すべてを自分一人でまかなう「自立した人間」になることなど、最初から不可能なことなのです。だからこそ私たちは、共感能力を発達させ、「人とつながる」ことによって、自らの身を守って来たのです。
なんでも自分でできる「『自立した存在』こそが、理想的な人間の姿なのだ」ということなど、現代社会がつくり出したフィクションに過ぎません。
ミーちゃん再び行方不明
実は、この「地域猫」の話を書き始めてからしばらくして、またミーちゃんが行方不明になりました。
最近、どこかで子猫が産まれ、「ミーちゃんにくっついていればご飯がもらえる」と思ったのか、ミーちゃんの行く先々に出没していました。
どうやらそのことをよく思わないだれかが、子猫と一緒にミーちゃんをどこかに捨てに行ったようです。
警察にも相談しましたが、「(ミーちゃんの)所有者がはっきりしない」「猫は移動するもの」と、冷たくあしらわれました。
ワクチンを打ち、避妊をし、病気やケガのときには病院に連れて行って治療し、みんなでご飯の場所を決め、美容院がメインで世話をしていたことを伝えても、対応は変わりませんでした。
「猫をめぐる地域のトラブルに関わりたくない」ということなのでしょうか。
見かけたらご一報を!
現在、美容院を中心に、またまたチラシをつくり、ポスターを貼り、ミーちゃんを捜索中です。
もし、同じ人が捨てたとなると、今度はかなり遠くまで運ばれた可能性があります。「一年後に見つかった」という奇跡的な話もありますから、あきらめずに探していきたいと思っています。
みなさん、もし、左前足が曲がっている、しっぽがグレーで短い三毛猫を見かけたら、ご一報ください! それはミーちゃんかもしれません。