新型コロナと「新しい生活様式」4
春のマスクの買い占めに始まり、トイレットペーパーやソープ類など衛生用品が不足しました。スーパーには連日、人が殺到し、お米などいつもはあふれかえっていた食料品まで一時品薄状態となりました。
安倍首相が要請した「一斉休校」は、保育園や学習塾まで巻き込んで前代未聞の事態を招きました。子どもを預ける場所を無くした親は右往左往。受験を意識する年代の子どもと親は、不安にかられました。
非常事態宣言による大型店舗の休業や商店街の自粛営業なども重なって、街のなかは閑散とし、夜は明かりも無く静まりかえっていました。
“日常”の崩壊
こうして、昨日まで当たり前だった“日常”が、いともたやすく崩壊したのです。
私たちが安心して生きていくためには、「今日は昨日の続き」で、「明日もきっと今日と同じようであろう」という一定の秩序と連続性が必要です。
ところが、国のコロナ対策は、予測可能な“日常”という基盤を大きく揺さぶりました。
何よりの犠牲者は子ども
「ひとりでNHK講座を見ながら勉強している」
「休校中に自習した内容は『学びを終えた内容』と見なして試験をすると言われた」
「ずっとオンライン授業で家に閉じこもっている」
無理をしてまで、「とりあえず授業を」とか「学びを止めない」と、頑張るくらいなら、いっそのこと本当にすべて休みにしてしまえばよかったのにと思います。
「子どもの成長」につながった?
いっとき「日本も9月入学に切り替えてはどうか」という議論もありました。かたちだけの一斉休校をするくらいなら、半年・1年のスパンで学校を閉じ、受験も中止にしてしまえばよかったのではないかと思います。
そうすれば来年に受験を控えた子どもたちが、塾の閉鎖や突然のオンライン授業に不安を感じることも減ったでしょう。自主学習に任せ、個々の子どもに学びや受験のプレッシャーを追わせことも減ったでしょう。
日頃から、塾だ、テストだ、受験だ、と追い立てられている今の子どもたち。
そんな子どもたちにとっては、ぽっかり空いた時間を使って、自分で何かにチャレンジしたり、ゆっくりとものごとを考えたりするほうが、ずっと「子どもの成長」につながったのではないかという気がします。