矛盾社会(2/6)

2019年5月29日

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そろそろあの「啓蒙活動」「啓発活動」というものを振り返ってみる時期なのではないでしょうか。
もちろん啓蒙や啓発が不必要とは言いませんが、「それだけではダメ」というのはもう自明のことのように思います。

まさに落ち穂拾い

児童虐待防止推進月間であり、DV防止推進月間であった11月。あちこちで虐待の防止やDV防止を訴えるイベントやチラシ配り、シンボルタワーのライトアップなどが行われていました。こうした活動には国や都道府県、自治体などから補助金が出ていることも少なくありません。

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確かにこうした取り組みによって地域の人や、サイレントマジョリティーの何人かが虐待やDVに関心を持つことはあるかと思います。でも、それは本当に微々たる数で、まさに落ち穂拾いのようなものです。

どうせお金を投入するなら、たとえばDVならば自治体の相談時間を長くするとか、支援者が自由に動けるよう資金援助するとかするほうがよっぽど有効なように思います。
虐待を受けたりした子どもが最初に入る一時保護所を増やし、子どもがくつろげる場所にするのもいいでしょう。東京都の場合、一時保護所の入所率が200%を超えているとの話も聞きました。

虐待の温床

人が簡単に解雇され、企業の「かき入れ時」だけの臨時雇いが当たり前になり、だれもが心身共に余裕を無くし、いらだっています。

DVの相談を受けていると「家族のために頑張って稼いでいる俺に向かって文句を言うな!」と妻を殴ったり、「だれのおかげでメシが食える!」と妻をののしったりするバタラーの話をよく聞きます。

そうしたバタラーの多くは子育ても家事もしません。すべてを妻(まれに夫の場合もありますが)に押しつけながら、「子育てや家事なんて取るに足らない仕事」と、家の中を切り盛りする妻を蔑んでいます。

また、DV被害者が家族など身近な人に相談すると「食べさせてもらっているんだからそのくらい我慢しなくちゃ」と“諭される”という話もよく聞きます。

こうした孤立した妻の存在や「自らを養っていけない人間は養ってくれる人間に従うべき」という考え方が虐待の温床にもなっていることは言うまでもありません。

暴力社会

競争を奨励する社会は人間を暴力的にします。人間から立ち止まって考える機会を奪い、人の身になって感じることを奪い、優しさを奪っていきます。

今の日本は、その育った環境や犯行に至る理由をていねいに聞き取り、明かすこともしないまま、「更生の可能性は低い」と断じ、平気で19歳の少年に死刑判決を下す社会なのです(裁判員「命奪うのは大人と同じ刑に」 石巻少年死刑判決)。

裁判員制度が導入されれば、当然、厳罰化になり死刑が増え、このような判決が出ることはこのブログで「生育歴が無視される裁判員制度」を書いたとき、すでに予測はしていましたが、やはり大きなショックと憤りを禁じ得ません。

こんな暴力社会をつくっておきながら、「DV防止」や「虐待防止」をいくら叫んでも、それは絵空事にすぎません。

ところが、こうした本質は振り返られないまま、今度は「死刑判決を下す裁判員の心のケアが大切」だというのですから、滑稽としか言いようがありません。(続く…

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Posted by 木附千晶