「がれきに埋もれた子どもを救え!」・・・国連からの画期的勧告(3)
こうした今までにない、びっくりするほど手厳しい国連からの最新「勧告」からわかること。それは、日本が1994年に子どもの権利条約を批准して以降、日本の子ども状況は悪化の一途をたどってきたということです。
度重なる国連からの「勧告」を無視し、戦争や飢餓という“古典的”な子どもの権利侵害とはまったく異なる、“経済的に豊かな国だからこそ”の子どもの権利侵害が、ずっと続いてきたということです。
子どもの権利条約からかけ離れた日本社会
90年代以降、日本政府は、「経済的・軍事的な国際競争に打ち勝つ」として、格差社会を一顧だにせず、社会一丸となって、その戦力たる人材育成に力を注いできました。
「小さなうちから競争に慣れ、勝ち上がる力を付けさせよ」「競争と評価を恐れず、早期に自立できる人間たれ」と、子どもたちのお尻をたたいてきました。
弱音を吐いたり、不適応を起こしたり、面倒ごとを起こすと「発達障害」だの「人格障害」だのというレッテルを貼り、社会のメインから排除してきました。
どれもこれも、「幸福、愛情及び理解ある雰囲気のなかで子どもは成長発達すべきである」とする「子どもの権利条約」前文とはかけ離れたことばかりです。
子どもらしく生きられない
かくして子どもは、子どもらしく甘えたり、間違えたり、おとなの力を頼ったりしながら、のんびりと成長・発達する機会を失いました。
子どもとして過ごす時間を奪われ、思いや願いを自由に出して、おとなに受け止めてもらうことで達成できるはずの、調和の取れた人格(「子どもの権利条約」前文)へと成長発達することもできなくなりました。
競争と自己決定・自己責任が当たり前になった社会で生きるおとなたちは、子どもと向き合う精神的・経済的・物理的な余裕を失い、「いち早く競争のなかに投げ込み、過酷な世界を生き延びる力を付けさせるよう鍛えることこそが愛情」と考え、子どもを追い込み続けてきました。
姿を消した子ども
それでもおとなに頼らねば生き延びられない子どもは、おとなの望みを推測し、その意向をくみ取り、期待に応えようと満身創痍でがんばって来ました。おとなに多くを期待せず、おとなが自分を理解してくれるとは考えもせず、「役立つ人間でなければ価値が無いのだ」と思い込まされて。
こうして日本社会から子どもという存在が消えたのです。子どもたちは、経済発展のために破壊された人間関係のがれきのしたに埋もれ、見えなくなってしまったのです。