野田市小学4年生虐待死事件について考える(3)
もちろん、だからといって「父母に罪はない」と言うつもりはありません。子どもを虐待し、死なせてしまった罪はきちんと償うべきものです。
私が言いたいのは「個人の責任にして、たとえ虐待親を厳罰に処したとしても『虐待の連鎖』は止められない」ということです。
社会が子どもの辛さや苦しさに目をつむり、虐待を温存させる社会を維持している責任を認めない限り、法律の改正も、スクールロイヤーやスクールカウンセラーの配置もまったく無意味だということです。
機能しなかった行政
報道によれば、今回の事件では父親の威圧的な態度に萎縮した行政機関がまったく機能しなかったという問題があります。
父親に言われてたやすく一時保護を解除し、その後は、自宅訪問さえしませんでした。
もし行政に、本当に子どもの立場に立つ姿勢と覚悟さえあれば、今の児童虐待防止法でも十分に救えたはずです。
学校の問題
学校の問題も感じます。
亡くなった子どもは、学校で行われたいじめアンケートに父親から暴力を受けていることを記していました。
学校はただ勉強を教える場ではありません。子どもの安全を守り、子どもの発達や人格形成を行う場所です。
たとえ児相相談所が一時保護解除の意向を示したとしても、「教育者としてもの申して欲しかった」と、残念でなりません。
もし学校が、「児相判断だから」と引き下がらず、敢然と子どもの立場に立って教育者としての意思を示していたら、事態は違う展開を迎えることができたかもしれません。
暴力を打ちあけた勇気
亡くなった女の子が「親に暴力を受けている」と打ちあけた裏には、私たちおとなには想像できないほどの勇気があったことでしょう。
「この世のだれよりも愛されたい親」の行為を否定し、「親の愛をあきらめる」のですから、天地をひっくり返すくらいの決心だったはずです。
親の愛をあきらめてまで
それだけ先生を信頼していたのではないかと思うのです。「この人なら分かってくれる」、「自分のことを救ってくれる」・・・。だからこそ意を決して、真実を伝えたのではないでしょうか。
もしそうだったとしたら・・・よけいに切なく感じます。
たやすく一時保護が解除され親元に帰されたとき、彼女はどんな思いだったでしょう。親の愛をあきらめてまで求めた救い。その最後の糸がプツンと切れた気持ちには、ならなかったでしょうか。