仕組まれた自由のなかで(4)

2019年5月29日

 この世には、「完璧に善である人」も「絶対に悪である人」も存在しません。人間であるからには、善と悪を両方とも持っていますし、発達度合いや置かれた状況にもよりますが、本能的な欲求もあれば、欲求を抑える理性も兼ね備えています。

そのどちらか一方だけをクローズアップしたり、逆に見ないようにしてしまったら、自分を受け入れながら自分らしい人生を生きていくことも、安定した人間関係を築くことも、難しくなります。

顕著な例は境界性人格障害

 その最も顕著な例は、自殺企図や人間関係のトラブルが顕著な境界性人格障害の人たちでしょう。その特徴のひとつは、「他者の激しい理想化とこき下ろし」という、他者イメージのスプリッティングです。

 つい昨日までは、「あなたほど素晴らしい人はいない」と盲目的に称賛していた他者を、今日になったら「私がこんなに苦しいのはおまえのせいだ!」とののしったりするため、信頼のある関係性を続けていくことが難しくなりなますし、理想を追い求めては裏切られることを繰り返していますから、本人の心はいつも傷だらけで血が流れています。

 また、自己イメージも同様にスプリッティングされていますから、自分自身のイメージも統合できず、結果的に悪い自己イメージに囚われてしまいます。
 
「自由な社会」という幻想

「こうあるべき」「こうでなければならない」という規範が強まった現代の日本社会では、それに合わせ、そこからはみ出さないように生きることを強いられます。その縛りが強くなればなるほど、振り子が逆に振れるように、抑圧した欲求も強まります。

 そんながちがちに縛られた社会にでありながら、「今の日本は自由な社会」という幻想がはびこっています。
「進学するかしないかは本人の自由」
「どんな仕事に就くのかは自分で決めること」
「有休をめいいっぱい取る権利も、育児休暇を取る権利も保障されている」

抑圧された「真の自己」の解放

解放 ・・・挙げればキリがありません。確かにその通りです。しかし実際にはどうでしょうか。進学しなければ、仕事を選ばなければ、労働現場で当然の権利を主張すれば、多くの場合、肩身の狭い思いをさせられたり、リストラの対象になったり、昇給や昇進が妨げられたりします。

「すべてはあなたの自由ですよ」と言われても、それにともなう理不尽な不利益の責任も引き受けなければいけないわけですから、人々は必死で枠からはみ出ないよう、「真の自己」を隠して頑張るしかなくなります。

 そんな仕組まれた自由のなかで生きている日本人が、抑圧された「真の自己」を解放するには、素顔を隠し自分とは違う者を装う、ハロウィーンの一夜が必要なのかもしれません。

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Posted by 木附千晶