オリンピック・パラリンピックとボランティア(4)
それらが「悪いこと」だとは言いません。だけど聖火リレーを走らせれば、その土地の食材を使って安全性をアピールすれば、それで「復興五輪」の理念をまっとうしたことになるのでしょうか。
こうした取り組みをすれば、前回ご紹介した知人のように「自分たちは忘れ去れていくのだ」と思っていた被災地・被災者の方々も、「そうではなくかった」と、思えるのでしょうか。
・・・どうも怪しい気がします。
私には、被災地や被災者を置き去りにして、東京周辺だけがはしゃいでいるような気がしてしまいます。もっと言えば震災をオリンピック・パラリンピック誘致に利用し、東京周辺だけが発展し、一部の人たちだけが大きな利益を手にしようとしているような、そんな嫌な感じがぬぐい去れません。
被災地の本音
その問いに答えてくれる記事(「復興五輪」という言葉に、拭いきれない違和感が湧いてくる)を見つけました。ジャーナリストの森田浩之さんが書いたものです。森田さんは河北新報(本社・仙台)が被災地の42市町村長を対象に行ったアンケートの結果をもとに、次のように書いています。
「この調査によれば『オリンピックは復興に役立つか』との問いに、54%が『何とも言えない』を選択した。『復興五輪の理念は明確だと思うか』という問いには、71%が『何とも言えない』と答えた。『何とも言えない』は強い『NO』ではないものの、実名入りで報じられる記事のアンケートで7割に達したことには、首長たちの強い不満と戸惑いの表れと言えるだろう。
自由記述欄への回答も手厳しい。
〈(復興五輪という)位置付けは素晴らしいが、具体化の取り組みが見えない〉──阿部秀保・東松島市長(当時)
〈東京で開催するのは大歓迎だが、復興五輪だという意識は全くない〉──戸羽太・陸前高田市長
〈五輪は被災地だけで行われるものではない〉──戸田公明・大船渡市長
控えめに解釈しても、被災地の首長たちは復興五輪という言葉をまともに受け取っていない。東京オリンピックが開かれることで自分たちの自治体にプラスの要因があるなどとは、ほとんど信じていないように思える」
なぜ東京が被災地の「代表」?
残念ながら、もとになった河北新報のアンケートはすでに見れなくなっていますが、森田さんのおかげで“当事者"の本音が垣間見えます。
同記事にある「そもそもなぜ東京が、多くの犠牲があった被災地を『代表』できるのか」という森田さんの疑問には、とても同感できます。