日本人の法感覚(7)
厳罰化の一途をたどっている少年法。こうした流れをつくったのは、2006年に山口県光市で起きた母子殺害事件でした。
最高裁は、この犯行当時18歳の少年が起こした事件に対し、1審と2審での無期懲役判決を破棄し死刑判決を言い渡しました。
その後、2009年に当時14歳だった少年が、殺害した小学生男児の首を校門に起き、「酒鬼薔薇聖斗の名で犯行声明文を書くなどした神戸連続児童殺傷事件が起きました。
それをきっかけに2012年の少年法改正では「16歳以上」だった刑事罰の適用年齢が「14歳以上」に引き下げられ、16歳以上の少年が故意に殺害した場合には、原則、刑事裁判にかける(逆送)ことになりました。
そして、2016年の佐世保小学生殺傷事件後の2019年の改正では少年院送致の下限年齢が「14歳以上」から「概ね12歳以上」になったのです。
社会は利益を得たのか?
現実に合わせて憲法でさえ改正しようとし、スピード感のある判決に向けて、圧倒的に検察官に有利な公判前整理手続きをし、市民感覚を生かして厳罰化を進めるさまざまな改革によって、私たちの社会は何か利益を得たのでしょうか。
私にはまったく実感できません。それどころか、犯罪者を増やすという危険な道への歩みを進めているように思えます。
すでに書いたように、ここ10年間、少年による犯罪は激減し、18歳・19歳の若年者の犯罪も増えてはいません。逆に多くの立ち直りの事例が報告されています。これは「更正」を目的とする少年法の理念が正しかったことを示すものではないでしょうか。
そんな少年法の理念を捨て、市民感覚を取り入れた裁判によって厳罰化を進めていけば、本来ならば更正できたはずの少年も、その機会を失い、犯罪を繰り返す者を増やしてしまうことにつながるでしょう。
待っているのは「犯罪者の増加」
生い立ちが軽んじられることも、気になります。
同じ悲劇を生まないためには、「どんな環境が人間を犯罪へと向かわせ、いったい何が最後の引き金を引くのか」ーーそれを知るためには、犯罪者の成育歴を詳細に明かし、犯罪者本人が自分自身と向き合い、その気持ちを吐露できるようになるまでの時間も必要なはずです。
つい最近も、東海道新幹線内で男女3人を殺傷するという悲劇的な事件が起きました。報道を見る限り、この事件もまた、家族や生い立ちなどの生育環境に、事件の謎を解く鍵が隠れているように見えます。
そうした部分に光を当てず、「やったこと」だけに目を向けるようになれば、犯罪者を生まない社会をつくることは難しくなります。もし、そうなってしまったら・・・その先に待っているのは「犯罪者の増加」という、取り返しのつかない事態です。