生育歴が無視される裁判員制度(7/9)

2019年5月29日

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裁判員制度は、被害者の方々も救いません。

ある調査官は、大勢の被害者やその家族と接してきた経験から、その理由をこんなふうに話してくれました。

「被害者やその遺族が知りたいのは、『自分の大切な人が、なぜそんな目に遭わなければいけなかったのか』ということ。その疑問に応えるためには、被告人がどんなふうに育ったどんな人間なのか、なぜ犯行に及んだのか、などが明らかにされる必要があります」

ところが、裁判員制度にともなう公判前整理手続では、まさにそこの部分が削られることになるのです。

「そんなことになれば、被害者側の傷はもっと深くなってしまう」と、この調査官は心配します。

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被害者参加制度も役に立たない

被害者参加制度などあっても何の役にも立ちません。

裁判員制度導入に先立ち、被害者参加制度を検証した新聞記事(『朝日新聞』3月3日)「何のための制度なのか」などという、被害者側の憤りが綴られていました。また、被害者側の精神的負担が大きすぎるという意見も述べられていました。

こうした疑問の声が上がるのも当然のことです。そもそも被害者参加制度に基づき、被害者が公判で述べる意見は「聞き置かれる」だけ。証拠として採用されるわけでもありません。

それにもかかわらず、なぜ被害者参加制度が必要なのでしょう。
知人の法学者は、こう分析します。

「今まで放置されてきた被害者の恨みを被疑者にぶつけるかたちでガス抜きさせ、それに共鳴する裁判員という装置を用意しただけ。被害者感情さえ厳罰化に利用されている」

被害者参加制度は「ガス抜き」

言葉は良くないかもしれませんが、「ガス抜き」という表現はまさにぴったりだと思います。

国民の社会の不満や不安が高まったときに、国の外に敵をつくったり、国内に異端者としてのスケープゴートを用意するのと同じことです。
人々の鬱積した感情は、スケープゴートにぶつけることで緩和されます。本当の意味での解決にはつながらななくても、いっとき「救われた気持ち」にはなるのです。

おかげで「社会をつくっている側」(権力を持っている側)は、本来の問題に手をつけなくてすみます。

不満や不安の原因は、たとえば社会保障が減らされることであったり、仕事が無くなることであったり、経済格差が開いていることであったりするはずなのに、その原因に触れることなく、自分たちにとっては都合のいい今の社会を温存していくことができます。

これを裁判に置き換えれば、被害者参加制度の役割が見えてきます。
「ガス抜き」が出来れば、本当に被害者側が救われるために必要な社会整備はしなくてすみます。

「なぜ犯罪者が生まれるのか」という部分にも目隠しです。
そうして犯罪者が生まれないようにするための社会保障もしないまま、「こうやって権力は悪い奴をちゃんと厳罰に処していますよ。市民を守っていますよ」という“ふり”ができます。(続く…

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Posted by 木附千晶