相模原障害者施設殺傷事件から2年(1)
もうすぐ神奈川県相模原市にあった県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、同施設の元職員が侵入して19人を刺殺し、27人に重軽傷を負わせた事件から2年が経とうとしています。
事件の直後、元職員は「奴をやりました」と最寄りの津久井警察署に出頭し、逮捕後は、「障害者なんていなくなればいい」などの主張を繰り返していました。
また、その後の調べによって、元職員が犯行前の2月に衆議院議長公邸を訪れ、「障害者は不幸をつくることしかできない。世界経済の活性化のためにも抹殺すべき」として具体的な犯行方法を記した手紙を渡してたり、同僚に「重度障害者安楽死させる」と話したことから退職に追い込まれ、10日ほどの措置入院になったことなども明らかになりました。
これらが報じられると、「おそるべき優生思想」「命を差別している」といった批判や「精神障害者はやはり危ない」といった声があちこちから上がった一方、元職員に同調するような意見もインターネットの書き込みを中心に拡散し、社会問題となったことはみなさんもよく覚えておられるのではないでしょうか。
障害者に関する法律が次々と
振り返って考えてみると、相模原障害者施設殺傷事件が起きる前の10年間ほど「障害者」に関する法律が次々とできた時代はなかったのではないでしょうか。
2006年には障害者権利条約が国連で採択され(日本の批准は2014年)、国内では悪名高き障害者自立支援法が成立しました。障害者自立支援法が問題とされた理由のひとつは、確かそれまでの応能負担(支払える能力応じて費用を負担する)から、応益負担(受けた利益に応じて費用を負担する)となった点だったと記憶しています。
「受けた利益に応じて費用を負担せよ」と言われても、支払う能力がなければ「無い袖は振れない」ということになります。そうなればお金が無い障害者はよい福祉が受けられなくなり、極力、福祉サービスを受けないようにするしかなくなってしまいます。
法律ができても差別は解消できないまま
その後、2011年には障害者基本法の改正や障害者虐待防止法の成立があり、2012年には評判の悪かった障害者自立支援法が廃止となり、変わって障害者総合支援法が成立しました。
さらに2013年には障害者差別解消法ができています。
こうやって書いてみると本当にあまりにもいっぱいありすぎて混乱するばかりです。改正されたものや廃止されたものもあり、いったい何が何やら分からなくなってきます。
が、言えるのは2006年に障害者権利条約が採択され、世界規模で障害者の権利が大きく謳われるようになったことで、国内でも障害者とその家族が抱える問題から目を背けることが難しくなったということ。
そして、法律をつくるだけでは「障害者差別」は解消されず、相模原障害者施設殺傷事件を起こした元職員のような考えも無くならなかったということではないでしょうか。