日本人の法感覚(6)
このような裁判員制度がはじまれば、少年法が厳罰化されていくことは、火を見るよりも明らかでした。
そして今、それは、まさに現実のものとなりました。
2016年6月、裁判員制度で初めて、犯行当時18歳だった元少年に死刑判決が確定したのです。
少年法も「永山基準」も形骸化
裁判員制度が始まった当初から、分かってはいたことでしたが死刑確定のニュースを聞いたとき、私はやはり衝撃を覚えました。
最高裁が少年法の基本理念である「更正の可能性」よりも「結果の重大性」を重視し、「少年でも相応の責任を取るべきである」という一審仙台地裁の判決を最高裁が認めたのです。これではもう少年法は死んだも同然です。
また、この最高裁決定は、1968年に4人を射殺した永山則夫元死刑囚(犯行当時19歳)の裁判で示された、いわゆる「永山基準」も形骸化させたのです。
「永山基準」とは、1983年に最高裁が死刑適用の基準として犯行の動機や犯行時の年齢など考慮すべき9要件を示し、犯行やその結果の重大性だけでなく、「少年の個人的事情をも十分に考慮したうえで死刑とすべきか決定せよ」としたものです。
石巻少年事件とは
石巻少年事件は、2010年に宮城県石巻市でおきました。元少年が元交際相手(元少女)の実家に押し入り、元少女の姉ら3人を牛刀で殺傷した事件でした。
2000年になってからおこった「凶悪事件」と言われる大阪教育大付属池田小事件の犯人同様、元少年も子ども時代に激しい虐待を受けて育ちました。その虐待がどんなものだったのか。最高裁の判決が出る前、『島根日日新聞』はこう伝えています。
「5歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られた。母親は1年後に再婚したが、家に1人で置いてきぼりにされたり、母親の機嫌が悪いと暴力を受けたりした。首輪をはめられ、ドアノブにつながれることもあったといい、小学校5年で祖母に引き取られた」
しかし、こうした少年の個人的事情はほとんど考慮されず、犯行やその結果の重大性だけが重視されました。