急がされる子どもたち(5/8)

2019年5月29日

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いったいいつから、日本の子どもはこんなにも忙しくなってしまったのでしょうか。

もちろん、教育基本法の「改正」(2006年)や全国学力・学習状況調査の再開(2007年)など、第一次安倍政が果たした役割は大きなものでした。だけど振り返ってみれば、道筋を決定づけたのは「郵政事業の民営化」で有名な小泉構造改革(2001~2006年)だった気がします。

同改革は「聖域無き構造改革」とも呼ばれたように、それまでは「人が人らしく生きるために不可欠」として守られていた教育や福祉などについても「官から民へ」、「市場にできることは市場で」と、市場開放を進め、市場原理に基づく制度改革を本格化させました。

誤解を恐れずに乱暴に言うのであれば、「すべては金で買うもの」の社会へと大きく舵を切ったのです。

企業は国の「規制緩和」を追い風に「社会貢献」を理由にしながら、子どもの成長・発達にかかわる保育や公教育などの分野に入り込み、お金儲けができるようになりました。

「自己決定と自己責任」時代の幕開け

それは本格的な「自己決定と自己責任」時代の幕開けでした。

よい教育を受けられるか否か、手厚い医療や保育が受けられるか否かなど、それまでは「最低限度は公によって保障されていたもの」を、すべてお金で買うようになったのです。

当然、「どんな教育を選んだか」や「どこで医療を受けるか」「どんな人生を生きるか」「どうやって危険を回避するか」などについても、個人が自分の意思で決め、その結果責任を負わざるを得なくなりました。

2004年、イラクで3人の日本人が人質となった際、小泉元首相が「自己責任だ」と言い放ったのは、当時の空気感をよく表していたのではないでしょうか。

外堀は埋められていた

すでに準備は整っていました。

教育に関して言うなら、教師を人事考課や数値目標でしばり、「物言えぬ教師」をつくってきました。また、事務仕事を激増させたことで教師が子どもと向き合う時間が無くなり、一人ひとりの子どもに目を配る余裕も奪いました。

一方、「ゆとり」教育と称して、公教育費を削減するために世界に冠たる平等教育を解体し、「できる子には手厚く、それ以外には最低限度」の教育へと移行させることでも成功を収めつつありました。

2000年に首相の諮問機関として設置された教育改革国民会議の最高責任者である三浦朱門氏が「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。(略)できない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」(「教育改革」の本質に警鐘)と発言したことは有名です。(続く…

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Posted by 木附千晶