カーリングペアレント(5/5)
そもそも子どもに何かを教え込もうとか、しつけようとか、指導しようということ自体がナンセンスなのです。
「develop(発達する)」の語源は、de(取り除く)+velop(包む:ラテン語のvolvoから派生)。つまり、人間として生きるためのあらゆる能力を秘めてこの世に生まれてくる子どもが、その内に秘めた能力を表出させることを「発達する」と言います。
それは「education(教育)」の意味ともリンクします。educationはラテン語のeducare(大きくする)とeducere(引き出す)の二つから成っています。ここからも分かるように教育というのは、子どもが生まれながらに持っている能力の発現を待ちながら、その能力が活かせるよう引き出してあげること。それが教育の本来あるべき姿です。
「教育の目的」とは
だから子どもの権利条約は「教育の目的」(29条)について、「子どもの人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること」と記しています。
私たちおとなにできるのは、子どもが生来持っている能力を存分に発達させられるよう、その土台を用意してあげること。子どもが、のびのびと、自信を持って自由にその翼を広げられるよう、安心できる人間関係を紡いであげることです。
もっと具体的に言えば、子どもが「助けて欲しい」「困っているよ」「寂しいよ」などというメッセージを発したときに、すかさず子どもに顔を向け、「なぁに? どうしたの」と応答してあげることです。
子どもの権利条約を心に置いて
子どもを愛していればこそ、子どものことが心配になり、私たちおとなはついつい先回りして、いろんなことをしたくなってしまいます。子どもが困らないよう、壁にぶつからないよう、備えてしまいたくなります。
今、ちまたにはそんな親の心配を煽る広告や宣伝があふれ、それに乗じて利益を上げようとする企業が虎視眈々と待ち構えています。よく耳にする情報は、「鉄は熱いうちに打て」とばかりに、早期教育を進めます。
よっぽど意識していなければ、だれもがかんたんにカーリングペアレントになってしまう世の中になってしまっています。
そんな現実に流されてしまわないよう、私も「子どもの成長・発達のための世界的な約束事」である子どもの権利条約の精神を心の片隅に置き、「子どもとどう関わるべきか」と日々、考え、自分を戒めています。