現実から解離した教育再生会議(4/8)
授業内容の厳選(三割削減)も「ゆとり」には結びつきませんでした。
たとえ教科書が薄くなっても受験体制が変わらなければ、子どもに教えなければならない内容は減りません。
それなのに総合学習や学校5日制の導入で授業時間全体が少なくなったのですから、当然「ゆとり」ある授業などできようはずはありません。
その影響は低学年ほど顕著でした。
子どもは磁石で砂鉄を集めて遊んだり、ジュースの量を量ったりするなど、生活に密着した遊びを取り入れた授業の中で、理科や算数の基礎を身につけていきます。ところが、そうした「ゆとり」のある授業ができなくなってしまいました。
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それに学習は積み重ねです。次に進むためには押さえておかねばならないポイントがあります。「教科書に載らなくなったから」と、省略してしまうとかえって子どもが理解できないことも多く、現場は混乱しました。
たとえば三割削減した教科書を使うようになった後、こんな話を先生たちから聞きました。
「小数点以下やゼロという数字全体のイメージがつかめないうちに計算方法を習うため、計算はできても数の概念が分からず、小数点以下が読めない子どもがいる」
「機械的に計算することは得意なのに、計算を応用して物を数えたり買い物をしたりすることができない子が増えた」
「基本的な漢字の仕組みが分からず、一昔前なら絶対にあり得ないような漢字の間違いをする」
「『漢字をいくつ覚えたか』ばかり気にするようになって、物語を楽しんだり、登場人物の心情に思いを馳せたりする時間が無くなった」
学力の二極化が進行
「ゆとり教育」が導入されても、結局は、かつてと同じ内容を短時間で教えなければならなくなっただけです。
しかも先生たちは忙しくなり、補習授業などもできなくなってしまいました。子どもたちの学習理解度が落ちていくのは当然の結果でした。
一昔前まではテストの点数分布表は真ん中付近が高いベル型というのが普通でした。ところが「ゆとり教育」導入の頃から、分布表は真ん中がくぼんだM型を描くようになったと先生たちは話していました。
「授業を聞いていれば勉強は分かるもの」というのは昔の話になり、 経済力がなかったり、教育に関心がなかったりする親の子は、早いうちから学ぶことを諦めてしまう傾向が顕著になってきていました。(続く…)