カーリングペアレント(4/5)
近年の愛着(アタッチメント)理論を中心とする研究結果や子どもの権利条約の内容を含めてよく考えれば、「カーリングペアレントがなぜダメなのか」も、ちょっと意味合いが変わってくるように思えます。
世の中一般で言われているように、「子どもは厳しく育てるべき」で「苦労は買ってでもさせた方が良く」て、「子どもの意見など聴いていたら親の言うことを聞かなくなる」から、カーリングペアレントが問題なわけではないでしょう。
そうではなく「先回りして障害物を取り除こうとする」ことで、「子どもの欲求をつぶしてしまって」、結果的に「子どもへの応答性を忘れて親の思い通りに子育てしようとする」から、問題なのです。
増える「回避性」の人
もしカーリングペアレントが増えているとしたら、前回ご紹介した『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』(朝日出版社)のなかで、岡田尊司さんが指摘しているように「生きることに伴う苦痛や面倒毎から逃れようとする傾向で、もっとも本来的な意味で『面倒くさい』心理状態が病理の根本にある状態。人の世の煩わしさから逃れたいという願望を持ち、現実の課題を避けようとする『回避性』」(46ページ)の人が急増しているのも当たり前と言えるでしょう。
すでに書いたように子どもの「生きる力」を伸ばす、安定した健全な愛着の形成は、「子どもが求めれば応える」という応答性によって成り立ちます。そしてこうした関係性をもたらしてくれる存在が子どもの心の中に内在化していき、安全基地となっていきます。
ところがカーリングペアレントの場合はどうでしょう。子どもの欲求を無視し、子どもが求める前に何でもしてあげてしまうわけですから、当然、安定した健全な愛着は形成できず、親は安全基地として機能しないということになります。
親自身が障害物に
このような親・・・期待が大きすぎたり、完璧主義であったり、本人の気持ちをくみ取れない親・・・による行為を岡田氏は「善意の虐待」(124ページ)と呼び、「そういった親の押し付けや支配を受け続けて育つと、まるで強制収容所で育ったかのような、ただ目の前の不快から逃れることだけを優先する、主体性や思いやりの乏しい無気力な人間ができあがってしまう」(125ページ)と、「回避性」の人が増える理由を記しています。
皮肉なことに子どもを心配し、思いやっているつもりの親自身が子どもの成長・発達を邪魔する障害物になってしまっているということです。(続く…)