猫を見ていて考えたこと(4/5)
でも、このアカゲザルの実験は、明らかに違う結論を示しました。
子ザルはおなかが空いたときにのみ、針金のお母さんのところに行ってミルクを飲みますが、空腹を満たすとすぐに布でできたお母さんのところへ戻ってしまいます。
音の出る、子ザルが驚くようなおもちゃを投げ入れたときも、子ザルは怖がって布のお母さんにしがみついたそうです。
この実験からハーローは、「愛着は生理的欲求(空腹や睡眠や苦痛など)を取り除いてくれるから母親を愛着対象とするのではない」とし、「接触(スキンシップ)による快適さこそが大切である」という考えを示しました。
スキンシップだけではダメ
でも、この実験には後日談があります。接触(スキンシップ)さえあれば子ザルはちゃんと育ったのかと言えば、実はそうではなかったのです。
布のお母さんにしがみついて育った子ザルは、成長とともに自分を傷つけたり、仲間とつきあえなかったり、無関心無気力だったり、攻撃だったりなど、その人格(猿格)形成にまざまな問題が生じました。
このことから、ただ「温かいぬくもりがあるものとの接触(スキンシップ)」があればよいというわけではないことは明白です。
大切なのは「受容的な応答関係」
いったい何が足りなかったのでしょうか?
子ザルが心身共に健康に育ち、他者と友好な関係を築き、情緒的に安定するためにはいったい何が必要なのでしょうか?
私は「受容的な応答関係」だと思っています。
怖い思いをしたり、お腹が空いたり、慰めて欲しかったりするときに、その思いや願い、ニーズをくみ取り、受け止め、応え、恐怖を取り除いてくれるような継続的な関係性がなければ、絶対にほ乳類は幸せには生きられないのです。
そしてそんな関係性を提供してくれる存在こそが、私たちほ乳類が「愛されている」「自分はここにいていいんだ」という確信を与えてくれるものなのです。(続く…)