水族館のマグロが死んだ(5/5)
でも、そこでまた疑問もわきます。
フロイトの理論によれば、生物(人間)には、「いきいきと生きたい」という「生の本能」もあります。通常、私たちはそのふたつの本能のバランスをとって生きているわけです。
・・・だとすると、前回までのブログで書いたさまざまな事件の容疑者とされる人々は、そのバランスが崩れてしまったのだと考えられます。「人と一緒にするな!」と怒られそうですが、水族館のマグロもそうかもしれません。
ではなぜバランスが崩れてしまったのでしょうか? 何がそのバランスに影響を与え、「生の本能」よりも「死の本能」を優勢にしてしまったのでしょうか?
状況や環境が関わっている?
やはり私はそこに、その生物(人間)がおかれた状況や環境が大きく関わっていると考えずにはいられません。
フロイトは「すべての本能は緊張を解消し、過去の安定状態を再現することである」として、「死の本能」へと向かうしました。もしそうだとしたら、自らを滅ぼしたり、他者を滅ぼそうとする生物(人間)は、「おそろしく緊張し、安定できない状態にあった」とも言えるのではないでしょうか。
もちろん、どんな状況下にあっても、人を殺したり、自殺することは認められません。しかし、命を破壊せねばならないほどの緊張下で生きなければならないとしたら、どれほどまでに辛いことでしょうか。安定を求めて自ら「無」になることを選択する人生とは、どれほど悲しいものだったのでしょうか。
相模原の障害者施設殺傷事件では
人間が破壊的な選択をする根底には、必ず不安と恐怖、そして孤独があります。そんな「不安と恐怖に彩られた孤独な人生がどのようなものであったのか」を明らかにすることは、逆に言えば、「どのようなものがあれば人間を破壊的な方向へ向かうことを止められるのか」を教えてくれるものでもあります。
7月末、神奈川県相模原市の障害者施設で、元職員が入居者19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせるという痛ましい事件が起こりました。元職員を断罪することはかんたんです。しかし、二度とこのような事件が起きないよう、その生い立ちを明らかにし、元職員には「なぜ、このような犯行に至ったのか」を話せるような環境が与えられることを願ってやみません。