歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(6/8)
橋下大阪市長は、知事時代からずっと「教育委員会はいらない」「教育は政治家主導で行われるべき」と主張してきた人です。
それを実現するための手段も選びませんでした。
多くの問題をはらみつつ43年ぶりに復活した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)も利用されました。この制度を使って、橋下氏がどんなふうに教育委員会を脅し、無力化したのかについては、『暴力の裏に隠された意味(2)』をご覧いただきたいと思うのですが、これを契機に教育委員会は、なし崩し的に橋下氏に従うようになっていきます。
暴君は一気に力を持つ
その教育委員会の様子は、いじめを受けたり、暴力を受けたりした者が、力を奪われ、どんな理不尽なことにも従い、いっさい抵抗できなくなるのと似ていました。橋下氏の言動にうろたえ、怯え、プライドを売り渡していってしまったのです。
腰の座らない教育委員会を見ていた周囲(一般市民)の多くは、橋下氏の狡猾さに目をくらまされると同時に、おどおどとした教育委員会に嫌気が差し、橋下氏の論調に引っ張られていきました。
こうして相手が抵抗する気持ちを失い周囲がそれを黙認すると、暴君は一気に力を拡大します。
管理統制がマネジメント?
今年、大阪府では、知事が教育目標を設定できたり、教育委員を罷免できたり、教員を「評価」の名の下で自由自在にコントロールできたりする教育関連条例が次々と成立しました。(大阪府議会、教育・職員条例が成立 4月1日施行へ)
どれも成立した大阪「君が代条例」に続く、橋下氏肝いりの教育管理統制条例です。これらの条例ができたことによって、教員は校長の、校長は教育委員会の、教育委員会は首長の命令に従わざるを得なくなりました。
もちろん、何を命じるかは、すべて首長の考え・気持ち次第です。
橋下氏はこうした首長の独裁体制を「指揮命令系統が機能し、組織が決めたルールに従うようマネジメントできている状態」と呼び、「選挙で選ばれた首長の命は民意である」と言ってはばかりません。
条例によって、現場の教員は目の前の子どもひとりひとりの思いや願いを受け止めるよりも、上の人間の命に従うことを優先せざるを得ず、結果として子どもは成長・発達のための大切な基盤を失ってしまいますが、そんなことはおかまい無しです。(続く…)