歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(7/8)

2019年5月29日

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そんな橋下流教育マネジメントを知れば知るほど、「上からの管理・統制を強め、教育委員会を無くし、政治家主導の教育ができるようになれば本当にいじめが無くなるのか?」という疑問が大きくなります。

そもそもなぜ、子どもの世界にいじめが蔓延しているのでしょうか。学校が、教育委員会が保身に走り、いじめの事実を隠蔽することにやっきになっているのでしょうか。

競争や序列化が“普通”になる中で

その原因は、教員も子どもたちも管理され、統制され、評価によって縛られ、学力を中心とした競争や序列化が“普通”になってしまった学校教育体制にあります。

90年代以降、効率よく国際競争社会で役立つ人材を育成するべく、経済界と一緒になった政治家が教育を操り、教員や教育委員会をぎゅうぎゅうに締め上げてきました。

学力以外の価値は学校から排除され、たとえ勉強はできなくてもひとりひとりの子どもが、「自分は大切な存在だ」とか「ちゃんと認めてもらえている」などと思える機会はほとんど無くなってしまいました。
子どもたちはその憤りやストレスを「自分の能力が無いから」と、黙って抱え込むしかなくなりました。

そうした鬱屈した感情は、いつも子どもの心に渦巻き、はけ口をさがしています。だれかをいじめることは、この出口のない感情を一時、軽くしてくれることに役立ちます。

追い詰められた教師は

一方の教員たちは、人事考課や評価によって縛られ、隣の教員と競わされ、お上の望む結果を出すよう迫られるようになりました。
校長権限の強化や、学力テスト、学校選択制や教員免許更新制度などなど、ここ20年の間にできあがったさまざまなツールが、教員を競争と序列化、そして服従のベルトコンベアへと駆り立てます。「みんなでひとりの子どもを支えていこう」という雰囲気は奪われていきました。

クラスに問題がある子がいたり、学級運営がうまくいかないことは「教師の個人的責任」にされ、評価に響きます。学校に問題があれば、管理職は教育委員会から指導力不足を責めたてられます。

過酷なシステム

そんな過酷なシステムの中で、どうにかして子どもと向き合おうとがんばっている教員がいることも確かです。しかし、それができず、もしくは諦め、毎日を乗り切ることでせいいっぱいの教員が多くいることも、悲しい事実です。

そんな状態であれば、鬱屈した思いを抱えた子どもがいても、それに向き合い、手当てすることなどできません。結果的に、何か問題があったとしても「見ない」「触れない」「動かない」まま放置されることになってしまいます。(続く…

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