福祉から遠い国(7/8)

2019年5月29日

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想像してみてください。

たとえば、幼い自分を置いて家を出て行き、その後、一度も会ったことのなかった母親を、ある日突然「扶養義務があるから引き取りなさい」と言われたら、あなたはできるでしょうか。

虐待され、逃げるように父親から逃れたあなたが「父親の面倒をみろ」と言われたら、すんなりと納得できるでしょうか。

その逆もあります。
離婚した配偶者と共に家を出て、長年音信不通だった我が子が「生活に困っているから」と連絡して来たら、あなたはいくつもの思い出を分かち合って来た子どもと同じように深い愛情を持って受け入れることができるでしょうか。

関係性の無かった人は「存在しない人」

人には、その人が長い間紡いで来た人生の結晶である「今の生活」があり、その人をかたちづくっている「人間関係」があります。

そうした生活やその関係性の中に、まったく存在しなかった人間をただ「血が繋がっているから」と受け入れることは多くの場合、かなり難しいと思います。
そうすることによって、今の生活や大切にしてきた人との関係が壊れてしまうことだってありえます。

もちろん、受け入れられる人もいることでしょう。人並み外れた人間性や能力、経済力などがあれば可能かもしれません。

でも、少なくとも私のような凡人にはとうていムリです。長い間、関係性が無かった人とは「存在しない人」と同じことなのですから。

新たな悲劇を生む前に

「血が繋がっているから」と、ずっと関わりのなかった親族までを扶養するようになれば、新たな虐待や家族崩壊を招くことは火を見るよりも明らかです。

そんな新たな悲劇を生む前に、生活保護が増え続ける原因の方を取り除くべきだと思います。
今、必要なのは「生活に困窮した人」から生活保護を取り上げることではありません。
「巨額の富を手にする一部の人」だけに、利益が分配されている社会構造をつくりかえることです。(続く…

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Posted by 木附千晶