戦争がなくても平和じゃない(11/11)

2019年5月29日

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だからと言って子どもに「本当のことを話してごらん」とか「抱えているものを全部はき出さしなさい」と促すことがいいわけではありません。

「『がんばらなくてもいい!』・・・そんな新しい社会へ(4)」でも書いた通り、日々の生活さえままならない避難所や、その延長線上にあるような生活の中で、物理的な支援が圧倒的に足りない中で、心にある感情を出していくことはとても危険です。

虐待などの治療においても、そのまっただ中にあるときには、心の中を探るような踏み込んだセラピーなどはできません。すべてはある程度安全な環境が確保でき、継続的なケアが可能になってから始まることです。

「もう終わったこと」などと言わないで

前回にご紹介した少女も、同じ文章の中で次のように述べています。

しかし、だからと言って子ども達今の声を疑うような真似や、心の不安を無理にこじ開けるような真似は絶対にしないでほしい。難しい事かもしれないがそれだけ複雑でデリケートな問題なのだ。子ども自身さえ今の感情が偽りのつくったものだなんてこれっぽちも思っていない。

しかし、本当の気持ち、心の奥深くに眠っている不安や悲しみは時間を経てやってくる。忘れた頃にその子を襲う。今大丈夫だからといって決して油断はしないで欲しい。おとな達が忘れかけ、立ち直った頃でも子どもの心の中では根強くその気持ちがこびりついているかもしれないのだから。

そしてこれから歳月が経ってもし、身近な、あるいは関わった子ども達が不安や恐怖を口にしたら、その時初めて同調してほしい。「辛かったね」と言って欲しい。「怖かったね」と言って欲しい。

そしてこれからどうすれば安心を得られるのかを一緒に考えて欲しい。それこそが関係性であり、真に子どもがおとなに求めているものなのだ。決して「頑張れ」とか「大丈夫」とか「もう終わったこと」などと言って欲しくない。
(DCI日本『子どもの権利モニター』108号より)

「お疲れさま」と言ってあげたい

今、被災者の立場ではないおとなが被災した子どもたちに向けてすべきことは、子どものいちばん身近にいるおとなの方たちが、安心して日々を送り、幸せを感じ、少しでも早く余裕を持って生きられる環境を整えることです。

将来を見通せるよう、その意思を聴き取り、補償をし、生活の再建ができるよう援助し、子どもに目を向けられるようにすることです。
こうした援助や補償に向けて動くことができるのは、被災者ではないおとなだけなのです。

それができない限り、被災した子どもたちの“戦争状態”はけっして収束には向かわないでしょう。

震災から7ヶ月が過ぎました。もうそろそろ、非常事態の中でがんばり続けてきた子どもたちに「お疲れさま」と言ってあげたいと思います。

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Posted by 木附千晶