コロナと不寛容社会

自分の考えや価値観に合わない人をたんに批判するというだけでなく、バッシングしたり、人格誹謗までする人が増加した社会を「不寛容社会」と呼ぶそうです。

①SNSによって、いつでも、どこでも、匿名性を保ったまま他者を攻撃・批判できる環境ができたこと、②スマートフォンなどのテクノロジーの進化で、個人主義が進んで“リアルな他者”を感じる機会が減っていること、などが原因のようです。


コロナ禍が拍車をかけた

他者との接触、リアルな関係を減らせというコロナ禍は、この状況に拍車をかけました。

もともと同調圧力が強く、異質なもの、多数派で無いものを排除し、「空気を読んで他人に迷惑をかけないこと」が大事な日本社会では、この傾向はさらに強まっていくでしょう。

「自分は我慢して迷惑をかけないようにしているのに」と、周囲に気を遣わないように見える人や、我慢していないように見える人への妬みを“正義”の名の下に晴らせるのですから、こんなすっとすることはありません。

間接自殺事件

社会に妬みや恨みが鬱積していることは、21年後半に立て続けに起きた間接自殺(拡大自殺)とも言える無差別殺人(未遂)事件からも分かります。

8月6日には小田急線内で20代の女子大生らが男性に刺される事件が、10月31日には京王線内で男性が乗客を切りつけ火をつける事件が、12月17日には大阪で心療内科クリニックに放火し25人が亡くなった事件がありました。

大阪クリニック放火事件の容疑者は意識不明のままですが、小田急線刺傷事件の容疑者は、「幸せそうな女性を見ると殺したくなった」「乗客が逃げ惑う姿を見て満足した」(『東京新聞』21年9月17日)」と言い、京王線刺傷自県の容疑者は「人を殺して死刑になりたかった」と供述しているそうです(『NHK NEWS Web』21年11月1日)。

どちらも社会に深い恨みを抱えていたと推測されます。

共感力の低下

怒りの増大と同時に不寛容社会の養分となっているのは、競争とそれによる共感力の低下です。

私たち人間は、「だれかとつながる」ことで厳しい環境を生き延び、捕食動物から身を守ってきました。今日の経済発展も、仲間と協力し、お互いの能力を惜しみなく出し合うことで成し遂げてきました。

他の生き物たちを見てみても、通常は同じ種同士で生存を脅かすような競争はしません。
本来、生物は競争し、「だれかを蹴落とす」ようには出来ていないのです。

ところが、現代のような競争社会では、「他者は自分の成功を妨害する者」と、他者への適を者への敵意を植え付けなければなりません。そのようなことを続ければ、共感能力は蝕まれ、他者に心を閉ざし、攻撃的な人間が増えるのは当然のことです。

真に闘う相手はウィルスではない

コロナ禍の中で、私たちが真に闘わなければならないのは、コロナウィルスそのものではありません。コロナの蔓延に乗じて、私たちから「人間らしさ」を平気で奪い、利益を生もうとする輩なのです。

そのことを忘れず、来年もまたコロナ禍であっても人とつながり続け、不寛容社会に異を唱えていきたいと思います。

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Posted by 木附千晶