矛盾社会(4/6)
そしてさらに言えば、物理的な時間や余裕があっても、子どもの気持ちを受け止める大切さを見失っているおとなもたくさんいます。
前回も紹介した「子どもの声を国連に届ける会」のべつな子どもは、国連でのプレゼンテーションの中で、いじめについて周りのおとながどう反応したのかをこう語っています。
「クラスの男の子たちから『死ね』『っていうかうざくね?』などと言われ、教室に入れなかった。行き場所もなく泣きながら保健室に行くと、『熱がないなら戻りなさい』と入れてくれなかった。トイレに逃げると猫なで声で先生たちが『大丈夫なの?』『早く出てきない』と説得に来た。
両親に話すと、父は『そんなの社会に出ればよくあること。俺だっていじめられている』と言い、母は『全員殺してやる』という私の言葉に『全員もどうやって殺すの?』と言うだけだった」
勇気を振り絞って言葉にし、辛さを態度で示しても、こんなふうにおとなから返されたら、もう二度と相談する気持ちになどなれないでしょう。
すべては“子どもの問題”として
こんなふうに子どもを突き放しておきながら、子どものコミュニケーション能力を高めるロールプレイやら、自己肯定感を高めるプログラムなどが大人気なのですから、理解に苦しみます。
もっとも学校現場で行われているこうしたプログラムは、「暴力の低年齢化」や「友達をつくれない子どもの増加」などを解決するために行われているようです。
つまりおとな側のことは棚上げにしたまま、すべては“子どもの問題”として押しつけ、「子どもの心の有り様や行動様式をおとなにとって望ましい方に変化させよう」というわけです。
自己肯定感を育くめない親
本来、自己肯定感は、この世に生まれ落ちた子どもが養育者との関係性の中で獲得すべきものです。
養育者がいつでも自分のことを見ていてくれること、自分の欲求に応え、そのニーズを満たしてくれることによって「愛されている」と感じ、「自分は大切な存在だ」と実感していきます。
今、こうした関係性を養育者との間に持てない子どもがたくさんいるのは事実です。
それはよく言われているように貧困の問題も大きいですが、それだけではありません。
多少なりとも経済的にゆとりのある家庭では、小さな頃から手のかからない“いい子”であること、なるべく早く何でも自分でできる“自立した子”になること、親を安心させ、親の願いをかなえる優秀な子になることなど、親の欲求に応え、そのニーズを満たすような子育てがなされているからです。(続く…)