『家族』はこわい(2/6)
「子どものため」に奔走する親
「子どもには親しかいないのだから」と、自分を犠牲にして「世間様に後ろ指をさされない人間にしてあげる」ためにがんばる。
そんな親の根底にあるのは「この子は私のもの」という、子どもへの所有意識です。
こうした親は「子どものため」と言いながら、自分の人生を豊かにするために子どもの人生を支配し、コントロールします。
「子どもの幸せ」のために奔走する親ほど、こわいものはありません。
結婚しない子どもの身を案じて「親の見合い」会場に集まる親たち。
その親たちは子どもが成人してもなお、子どもの人生を支配することを止めようとしません。あろうことか配偶者選択と子孫の誕生という子どもの未来までも手中に収めようというのです。
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「愛情」という名の支配
私たちの社会では、こうした親の支配を「愛情」という名で呼びます。
「愛情」あふれた親は、子どもを社会で通用する“作品”に仕上げようと、その人生に口を出し、思い通りに装飾し、好きなように操作します。
そうしてさんざん子どもの人生をかき回し、子どもから生きる自信も気力も、希望も夢も奪ったあげく、「感謝しろ」と迫ります。
身体的な暴力やネグレクトには敏感な人たちも、こうした残酷な「愛情」には無頓着です。
私たちの社会には、「子どもは親に従うべき」との常識がまかり通り、どんな親に対しても「親孝行するのは当たり前」という意識が浸透しているのです。(続く…)