推し活依存症(3)
ある人が「推し活」の魅力をこんなふうに話していました。
「『推し』を応援していると、自分が必要とされている感じがする。 私が応援してるから、『推し』の子が輝ける・ 私がいるから『推し』の子がやっていけている、と思える」
裏を返せば、日常のなかでは「自分が必要とされている」と思えていないということです。日々、生き生きとした感覚を持てず、生きている意味を感じられないということです。
『文春オンライン』 (23年7月29日) に登場した 「立ちんぼで 「1日15万円稼ぐ」ことが日課になった19歳」 は、立ちんぼをして稼いだ金をホストに使う理由をこう表現していました。
「暇なんで」
「推し活」は立派な依存症
ここまで書いて、改めて実感しました。
「推し活」とは依存症なのだ、と。
哺乳類である人間は、依存対象無しに精神状態を保つことはできません。
乳幼児は世話をしてくれる養育者に おとなになれば、パートナーや没頭できる何かを必要とします。
何かに依存するということは、私たちを孤独や寂しさから救い、人生に幸福感をもたらしてくれます。
「唯一無二」「ほかに代えられない」対象があるからこそ、私たちは孤独なこの人生を生きていけるのです。
でももし、その依存対象が幸福ではなく、自滅へとつながっているとしたら・・・それは「依存症」と呼ばれます。
「自分が必要とされる必要」に駆られるのも、共依存の典型例です。
孤独で愛に飢えた若者たち
依存症は寂しさと空虚感に端を発する病です。
ぽっかりと空いた穴を埋めてくれる“何か”を求めます。実は何にも持っていない自分を繕うため自分を“飾り”、生き生きとした感情を与えてくれる「一瞬の高揚」を得ようと、危険な行為に走ります。
ホストも推し活も、まさにその構図に当てはまります。つまり、今の若者たちがそれだけ孤独で、愛に飢えているということです。