感情を失った時代(7/10)

2019年5月29日

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岸本裕紀子氏の挙げた例のように、相手を不愉快にさせず、いつでもポジティブで明るい雰囲気を提供する「感情労働」。それを行う対象は、客やクライアントだけではありません。職場の上司であったり、部下であったり、同僚であったりします。

もっと言えば、それは仕事をしている人だけの話ではありません。一昔前、子どもたちの間ではやった「KY」という言葉が象徴するように、学校や幼い頃からの友人関係でも必要とされています。

「感情労働」が要求される場では、あるシチュエーションの中で、当然、人間が抱く「リアルな感情」の存在は許されません。
いえ、「リアルな感情を持つ人間」であることが許されないと言った方がいいかもしれません。


まるでロボット

何があっても笑顔で、期待されるよう振る舞い、求められるままにやるべきことをこなす・・・
まるで職務遂行をプログラミングされたロボットのようです。

ロボットは、何があっても怒ったり、悲しんだりしません。その代わりに、他者の痛みに共感し、他者の辛さを自分のものとして共に痛むこともありません。悲しむことができないのですから、当たり前のことです。

「リアルな感情」を排除した「感情労働」を常とする社会で生きざるを得ない私たちは、その職務に徹するため、極力、心を動かすものを見ないようにしてきたことでしょう。もし、心が動いてしまえば、その世界で生きることが危うくなってしまうからです。

そして「感情を動かさない」よう訓練を続けた結果、いつの間にか本当に感情を失ってしまったのではないでしょうか。

そうなってしまえば、たとえ目の前でだれかが殴られても平気です。辛い思いをしている人がいても、その存在を見ない、考えないようにすることができます。

そんな人びとの心性を小此木啓吾氏は次のように述べています。

「自分に心的な苦痛や不快を与える身近な人の苦しみや悲しみにかかわることには辛くて耐えられないと言えば、それは現代人のやさしさのように受け取れるが、このやさしさは、汚れ、醜さ、不快、悲しみを感じさせるものは、できるだけ眼前から排除し、遠ざけておきたい冷たさとひとつである。そしてこの心理的傾向は、いつの間にかわれわれ現代人のだれもを支配する心性になってしまった」(『対象喪失 悲しむといいうこと』195ページ)(続く…

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