オリンピック・パラリンピックとボランティア(7)

2019年5月29日

 単純に考えられるのは、文部科学省とスポーツ庁の「通知」に象徴されるように、「自発的」「自由意志」ではないかたちでボランティアをしている人が多いという予測です。つまりソフトな強制力が働いて、ボランティアに行かなければならないという状況があるということです。

 しかし、報道等で受けている印象になってしまいますが、休みのたびに、ときには「受け入れ制限」が出るほどに熱心なボランティアの人たちが、みんな何らかの強制を受けているというふうには見えません。

 ではいったい、どういことなのでしょうか。

「人の役に立ちたい病」?

 誤解を恐れずに私見を述べさせてもらうとしたら、「人の役に立ちたい病」の蔓延ということなのではないかと考えてしまいます。
 もちろん、その気持ちは人が人とつながって生きていくときに必要なものですし、私自身にもあります。だからこそカウンセラーとかセラピストなどと呼ばれる仕事をしているのだろうとも思います。

 その「だれもが持っている」気持ちが突出している人、もしかしたら、日頃の生活の中では生き甲斐や人のために生きている感覚が見いだせない人が増えているということが、このボランティアの急増という現象を生んでいるのかもしれないと、被災者側の意見(迷惑な被災地ボランティアする前に意見を聞いて!アンケート結果あり)を読んでいて思いました。

「迷惑になるような支援はNG」

 上記のサイトには、被災地でのボランティア活動において「①ちゃんと考えて現実的に役に立つ支援のみすべき(迷惑になるような支援はNG)」「②助けになりたい気持ちが大事 (とにかく動くことが大事)」「③どちらとも言えない」のアンケート結果も載っていますが、約8割が①を選んでいました。

 それだけ迷惑になるような支援が多かったということでしょう。つまりそれは、「人の役に立っているはず」という自己満足で動いている人が多いとも言えるのではないでしょうか。

冷たい国に暮らしているからこそ

 前回ご紹介したように、さまざまなデータが「日本は冷たい国である」ことが明らかになっています。そんな社会では、なかなか承認を受けることは難しく、頑張っても頑張っても、ダメだしされることの方が多いでしょう。

 生活のために生き甲斐を捨て、自分を殺して上に従うことを「空気を読む」とか「忖度」と呼び、強要される社会では「自分は社会の役に立っている」と実感できる機会が少なくなっています。

 そんな国だからこそ、逆にボランティアに精を出す人が増えているのではないかと、あまのじゃくな私は考えてみたりしています。

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Posted by 木附千晶