子ども不在の国ーー第4・5回日本政府報告書に寄せて(3/6)

2019年5月29日

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 この子どもの権利条約に基づく日本政府審査に際して、私が運営委員を務めるNGOでは今回を含めて4回のカウンターレポートを国連に作成・提出してきました。
 以下にそのタイトルを並べてみます。

『“豊かな国”日本社会における“子ども期”の喪失』(第1回)
『子ども期を奪われた日本の子どもたち』(第2回)
『新自由主義社会における子ども期の剥奪』(第3回)
『新自由主義体制の中で自分らしさと他人への思いを奪われる子どもたち』(第4回)

 こうしてカウンターレポートのタイトルを概観するだけでも、日本の子どもたちが、子どもらしく生きる時間や機会を持てず、機能不全の家庭(家族)・社会で育っていることが分かります。

 それは、この日本という国がおとなとは違う、「子ども」という存在を無視した、子ども不在の国であるということではないでしょうか。

過去3回の国連『最終所見』

 国連は、こうしたカウンターレポートと日本政府報告書の両方を検討した結果、日本政府に向けて出した過去3回の『最終所見』・・・つまり「もっとこうした方がいい」という勧告と「こんなことが気になる」という懸念を出します。それらは次のようなものでした。

①「成長発達の主要な三つの場である家庭、学校、施設のすべてで競争(管理)と暴力、プライバシーの侵害にさらされ、意見表明を奪われ、その結果、発達が歪められている(Developmental Disorder)」(1998年)
②「教育制度の過度に競争的な性格が子どもの肉体的および精神的健康に否定的な影響
を及ぼし、子どもが最大限可能なまでに発達することを妨げている」(2004年)
③「驚くべき数の子どもが、情緒的・心理的充足感(well-being)を持てずにおり、その決定的要因が子どもと親および教師(おとな)との関係の貧困さにある」(2010年)

国連の見解

『最終所見』は毎回50~100項目にわたって出されるので、ここに紹介したものは該当する審査時に、非常に印象的だったものを並べただけです。

 しかし、3回にわたる『最終所見』を俯瞰してみれば、国連がいかに日本社会を競争と管理、暴力に満ちあふれたものであると考えているかが分かります。

 そうしたなかで、子どもは自分の思いや願いを表現する人間関係を持つことができず、その結果、情緒的・心理的充足感を持てずにおり、こうした関係の貧困さが肉体的にも精神的にも、子どもの健康に否定的な影響をもたらしているとの見解を示しているのです。(続く…

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Posted by 木附千晶