さとり世代(3/10)

2019年5月29日

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世の流れに棹さしがちな私などは、そもそも『知恵蔵2013』の解説が指摘するように「高度成長期後のモノが十分に行き渡っていた時代に生まれ、物心ついたときにはバブルが崩壊し、不況しか知らない。一方で、情報通信技術の進歩と共に、当たり前のようにインターネットに触れてきた」時代を「成熟した時代」と呼ぶことにもひっかかってしまいます。

ちょっと脱線になりますが、現在を「成熟時代」と呼び、日本など先進諸国を「成熟社会」と呼ぶ人がいますが、いったい何をもって「成熟している」と考えるのでしょうか。

「成熟社会」とは?

このような「成熟」という言い回しが一般的になったのは、イギリスの物理学者ガボールが『成熟社会 新しい文明の選択』という本を著した1979年代はじめと言われています。

この著書でガボールは、「量的拡大のみを追求する経済成長が終息に向かう中で、精神的豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会」を「成熟社会」と位置づけています(weblio)。

では、果たして現代社会はどうでしょうか?
精神的豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会になっているでしょうか?

少なくとも、私の答えは「否」です。

「さとり」からの連想

閑話休題。
「さとり」に話を戻しましょう。

私が「さとり(悟り)」という言葉を聞いて、最初に思い出すのはオウム真理教の信者の人たちです。

くしくも最近、1995年当時、目黒公証役場の事務長を拉致した事件でオウム真理教元信者の平田 信被告の初公判などがあり、話題になっています。

私は、1995年に起きた地下鉄サリン事件後、警察官によって信者の子どもたちが、教壇関連施設から強引に連れ出された事件の取材を通して、教団幹部と呼ばれる人たちとは違う、一般信者の人たちと知り合いました。(続く…

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