「猫ブームとはなんぞや」(3/8)
確かに私の愛犬(写真)は、空気を読みます。
たとえば何人かの人間で食卓を囲むとき。 愛犬は、決して私の側には寄ってきません。「食べ物をくれそうな人」の側に行って、目をきらきらさせながらお座りをしてじーっと見つめます。
そしてそれは多くの場合、私の席から対角線上に座っている人であったりします。私からいちばん遠いので、愛犬に食べ物をあげようとすることを私が阻止しにくいと分かっているのです。
また、「そろそろ食事が終わる」という雰囲気になると「残っているものないの? なんかちょうだい」と、テーブルの下から顔を出したり、椅子の周囲を回っては主張します。
いずれも立派に「空気を読んで」います。だけど、「縦型社会の住人(犬)」という窮屈さは感じません。また、人間に同調しているというよりは、「どうしたら自分の意見が通るのか」を考えたうえで賢く自己主張しているように思えます。
「犬と猫の差」ではなく「個体差」?
一方、我が家の猫たちに目を転じると、どうも藤原新也さん宅のクロコちゃんとはぜんぜん違う生き物のようにも思えます。
家の猫たちは、呼んだときにはほぼ100%の確立で返事をします。なかには耳が聞こえない猫もいるのですが(写真)、口唇術に長けているのか、やっぱりちゃんと返事をします。
猫の方からも、やたらめったら話しかけてきます。そして、私がちゃんと応えないと、よけいに激しく話しかけてきます。
家の中でも、外でも「ブレーメンの音楽隊」よろしく私の後をついてくるし、私が座っているとすぐに抱っこしてきたり、足を枕に嬉しそうにゴロゴロ言い始めます。
・・・となると、これはもう「犬と猫の差」というよりも「個体差」と呼んだ方がよいような気がします。(続く…)