さとり世代(8/10)
今、自分の思いや願いなどをぶつけてくる10代はめったにいません。とくに、怒りを表出する子が減ったように思えます。
当然、腹を立てるべき状況におかれても、「だって、仕方ないじゃん」という雰囲気です。
いえ、いじめ防止対策推進法は子どもを救う?(3)(4)」でも書いたように、腹を立てるべき状況に自分が置かれていることさえ、気づかない場合もあるのでしょう。
「怒り」は大切な感情
「怒り」は大切な感情です。自尊心が傷ついたときにわきおこり、自分が脅かされていることを教えてくれます。この「怒り」があるからこそ、人は自分を守り、危険に満ちた世の中を安全に生きのびることができるのです。
そんな身を守る機能を持つ「怒り」の源泉をたどると、乳幼児の「他者を求める叫び」に行きつきます。
数多い哺乳類の中でも、とりわけ未熟なまま産まれてくる人は、たえず自分を気にかけ、守ってくれる養育者(多くの場合は母親)がいなければ生きていくことができません。だから養育者から離された乳幼児は、泣き叫んで養育者を呼びます。ひとり置かれることは飢えて死ぬことを意味しますから、必死に自らのニーズを伝え、それを満たしてくれるよう訴えます。
泣き叫ぶ乳幼児の心には、恐怖と悲しみを伴う「なぜ自分をほうっておくんだ!」という「怒り」があり、自分の身を脅かす感情を「解消して欲しい」と養育者に求めているのです。
「怒り」は他者との関係維持を求める欲求
IFFの斎藤学顧問は、乳幼児の「怒り」について次のように書いています。
「それは『母親環境』の供給維持という欲求が阻害されたことへの抗議を意味し、それが再び供与される期待という意味を持つ。つまり『怒り』は自己保全を求める欲求の表現ということになる。(略)少なくとも原初段階の『怒り』は、それ自体『他者との関係の維持を求める欲求』とみなされよう。最近の神経心理学的発達研究では乳幼児期(2歳以下)の身体的トラウマやネグレクトが右脳前頭前野皮質の発達を妨げ、それによるストレス抑制反応を鈍化させ、後年のストレス感受性昂進につながることが指摘されている(S.chore.A.N.)が、こうした危機状況下にある乳幼児が示すことのできる最も適切な表現こそ『怒り』なのである」(『アディクションと家族』21(4号)、365ページ「『怒り』と『憎しみ』について」)(続く…)