子どもの意見を聴くとは(4)

このようにとらえれば、たとえ赤ちゃんであっても十分に権利行使の主体となり得ます。また、ともすればおとな都合になってしまう「最善の利益」や、子どもの管理・支配の道具ともなり得る「愛情」を子ども自身がはねのけることもできます。
12条「意見表明権」は、13条「表現の自由」とはまったく違うものです。
赤ちゃんでも使える権利
もし、12条「意見表明権」を自己決定権だとしてとらえれば、まだ未熟な子どもに対し「自分で決めたのだから、自分で責任をとりなさい」という、早期の自立をや自己責任を問うという残酷なものとなってしまいます。
何より、産まれたばかりの赤ちゃんには使えません。おとなとは違う、おとなよりも脆弱な子どものために用意された「子どもの権利」でありながら、最も弱い乳幼児が使えない権利では、まったく意味がありません。
12条「意見表明権」の中身

12条「意見表明権」1項は次のように謳っている:「自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」
たとえ赤ちゃんでも、何を欲求し、何を願っているのか、その年齢や成熟度に応じたかたちで表明することは可能です。乳幼児は、自分に影響するあらゆる事項について、泣いたり、むずがったり、手足をばたつかせながら、今、感じていること、何をして欲しいと思い、何が不快なのかを養育者に向かって必死に伝えようとします。
おむつが濡れたとか、お腹が空いたという事実は、その子どもに大きな影響を及ぼします。
「子どもの意見を聴く」とは
子どもがある程度、成長したときには、親への暴言などの攻撃的なものや、試みに合わせるような表現や行動、非行などの問題行動や無言の抵抗として現れることもあるでしょう。
そうやって子どもは、本能的な欲求を通して権利行使をし続けているのです。そして身近なおとなには、これらの真意を探りながら、子どもの次の表現を待ちつつ受容的な関係を築き、応答を続ける義務(12条「意見表明権」)があるのです。
こうした子どもの思いや願いに応えること。それこそが、子どもの言葉にならない思いや願いまでも含め、「子どもの意見を聴く」ということです。









