感情を失った時代(2/10)
話が広がってしまって恐縮ですが、この間、びっくりするようなシンポジウムのお知らせを見つけてしまったので、記しておきたいと思います。
「維新政党 新風」という、最近よく聞くとある政党と見間違うような名前の団体が2009年に開いていた「教育における体罰を考える」シンポジウムの呼びかけには、次のように書いてありました。
体罰は教育?
子供のための体罰は教育!
罰は子供を強くするため、
進歩させるために行われます。
「叱るよりほめろ」では子供は強く
なることができません。
いかに多くの罰を受けたかが
優しさを決めます。
人のことを思いやる力をつけるには、
体罰は最も有効です。
まるで、昨年12月にブログ『生い立ちと人格』で紹介したヒトラー家を思い出させるような恐ろしい考えです。「多くの罰を受けた方が優しくなれる」という発想も受け入れることはとうていできません。
さらに知りたい方はどうぞ同政党のサイトをご参照ください。余談ですが、このシンポジウムの第一部である対談に登場したのは、当時東京都知事だった石原慎太郎氏とジャーナリストの櫻井よしこ氏でした。
いじめ自殺と同じ構図
・・・ということで話を本筋へ戻したいと思います。
大阪市立桜宮高校の体罰事件についてです。
事件をめぐっては、ついこの間までマスコミを席巻していたいじめ事件同様、学校(教職員)や教育委員会の隠蔽体質を責める声が強く聞こえます(『産経新聞』2013.1.11)。そして「だから教育委員会には任せられない」と叫ぶ首長が登場するのも、同じ構図です(『産経新聞』1月15日)。
こうした「首長(政治)主導の教育へ!」という主張の先頭に立っている橋下大阪市長がずっと体罰(子どもへの暴力)容認派であったことは、すでにブログ(「生い立ちと人格(5)」)にも書きましたし、その語録を拾うこともできます。
橋下氏はこの事件で自殺した生徒の保護者と面会した後の 記者会見では「自分の考えは間違っていた」と反省したとの発言をしていますが・・・。(続く…)