歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた(3/8)
今まさに、私たちの忘れっぽさを象徴する事件が世の話題をさらっています。
「大津いじめ事件」です。
報道では、いじめた少年たちを厳罰に処せとの意見が日を追うごとに増え、さらには「いじめた側の少年への出席停止」の活用が「10年間に全国で23件しかなかった」と言い放つ記事も見られます(いじめた側出席停止、10年で23件)。
真の加害者の狡猾ぶり
そこには、「加害少年はなによりもまず被害少年である」という視点も、「なぜいじめられた子どもがそれを周囲に告げることができないのか」という、いじめを無くすための根本的な議論もありません。
いつも通り、あらゆる責任をいじめた少年たちに押しつけ、他者をいじめざるを得ないところに追い込んだ本当の加害者(社会やおとな)の責任は棚上げです。
ハーマンの言うとおり、真の加害者のその狡猾ぶり、厚顔無恥ぶりにはあきれるしかありません。
94年のいじめ自殺事件でも
同じ状況はいじめ自殺が話題になるたびに繰り返されてきました。次第に加害少年へのバッシング、厳罰の適用という意見を強めながら。そして、いつの間に忘れられ、根源的な問題は温存されてきました。
今から18年前の1994年には愛知県の中学生(当時13歳)だったKくんが、いじめられていた事実を記した遺書を残して自殺しました(悲劇いつまで 18年前に息子失った愛知の大河内さん)。
そのときも、政治家や各メディアは、いじめのむごさといじめっ子の極悪非道ぶりをことさらに協調し、いじめっ子の責任を追及しました。
Kくんの自殺後に開かれたいじめ緊急閣僚会議や文部省(当時)いじめ緊急対策専門家会議などでは、「すべていじめる側が悪い。傍観者であるということは、そのことですでにいじめているのと同じだ。どんなことがあっておいじめは絶対に許されないということを分からせるためにも、いじめっ子たちを見つけ出し、その責任を追及し、厳罰に処さなければならない」といった主旨の認識と対策が提唱されました。(続く…)