「人と生きる」ことを学ぶ学校(3/7)
実は、人間が持つさまざまな能力を伸ばすには、競争よりも「みんなで伸びる」ことを目指す犬山のような教育の方がはるかに効果的です。
協同教育を研究している中京大学の杉江修治教授(教育心理学)は『全国学力テスト、参加しません。—犬山市教育委員会の選択』(明石書店)で、こう書いています。
「最近の教育改革では、教育に競争原理を導入しようという議論が多いのですが、競争が効果的だという話はそのほとんどが神話(根拠のない空論)に過ぎず、協同が一貫して有効なのだということが実証研究では明らかになっているのです。(略)競争と協同とを比較すると、学習でも作業でも、ほぼ一貫して協同のほうが効果的なのです。競争は勝つ見込みのある一部の人しか意欲づけることはありません。また、自らの成長より人に勝つことのほうが目的になってしまいます」(90頁)
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なお、実証研究について詳しく知りたい方は、『競争社会をこえて—ノー・コンテストの時代 (叢書・ウニベルシタス)』(アルフィ・コーン著/法政大学出版局)をご一読ください。
この本を読むと、競争がいかに無意味・・・いえ、悪であるのかが分かります。
競争によって、一時的には作業効率が上がったり、特定の能力だけが伸びたりすることはあります。でも、それよりも失うものの方がはるかに大きいことが実感できます。
競争によってダメージを受ける「共感能力」
最もダメージを受けるのは、「人の傷みを自分の傷みとして感じることができる能力」。つまり「共感能力」です。
「共感能力」は、人間が安全に生きるために欠かせない能力です。遺伝子に組み込まれたこの「共感能力」があるからこそ、人間は「他者とつながる」ことができました。そして、この能力によって、他の動物より無力な人間が、厳しい自然環境の中で生き残り、文化や文明を発展させてきました。
しかしだからこそ、今日の日本のような競争社会においては、早いうちから競争原理を子どもに教え込む必要があります。
東京大学大学院の神野直彦教授(財政学)は『教育再生の条件—経済学的考察 (シリーズ・現代経済の課題)』(岩波書店)で次のように書いています。
「自然淘汰は競争原理を抑制することを求める。というのも、同じ『種』同士で競争をすれば、『種』の存続は脅かされてしまうからである。同じ『種』同士では本能的に競争することがないとすると、子どもたちを教育する過程で競争を動機づけなければ、競争原理は機能しない。他者は自己の成功への妨害物として、他者への敵意を子どもたちに植え付けなければならない」(11頁)(続く…)